全包括的(ホリスティック)な健康観の為に

こんな私に

        誰がした

  「こんな私に誰がした・・・」とは随分と古い流行歌の一節ですが、現代人のいわゆる「ストレス病」は人間関係のトラブルや機械相手の仕事による心の荒廃が重要な原因であり、この流行歌みたいに悪態を吐きたくなりますよね。

  しかし、ちょっとこの流行歌おかしいとは思いませんか?病気になった「こんな私」に対して、「誰がした・・・」なんて全く自分自身には責任がないみたいじゃありませんか?まさかそんな訳ありませんよね。トラブルの回避を・ストレスの発散をできなかった自分のことはタナにあげてるでしょ。「誰が」悪いのでもなく「自分自身」に最も責任があるとは思いませんか?

 

東洋医学は内傷無ければ外邪入らず

  話はいきなり具体的になりますが、病気になるにはそれなりの原因が必ずあるはずです。

  西洋医学ではウィルヒョーの「細胞病理学説」、パスツールやコッホの「細菌病理学説」にみられるように、病原体の侵入によって病気は発生するとしています。確かに病体を調べれば病原菌が犯しているのですが、これだけでは矛盾が多すぎます。例えば同じように海外旅行をしても伝染病にかかる人とかから無い人がいるのはどう説明をしたらいいのでしょうか。

  ところが東洋医学は「内傷無ければ外邪入らず」という原則があります。これを解説すると、感情の乱れ(即ち、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情)が限度を超えて高まり過ぎると、その弱った部分より外邪が侵入するが、反対に精神状態が良好であるならどんな邪鬼も跳ね返してしまうということです。

  そこで、これを証明したのが中世の傑物ッペン・コーヘルです。彼は多くの弟子の見守る中「私は今良好な精神状態にある。ここで細菌病理学説が本当に正しいか実験して見せる」とコレラ菌のウヨウヨするコップの水を飲み干したが、2・3日下痢をしただけでコレラに感染すること無く彼は長寿を完したのです。判りますか?内的因子があるから病原菌に負けて病気になるのです。   時計の修理と病気の治療は違います 

  現代西洋医学を体系付けたニュートンやデカルトは、当時最も発達した時計に擬て「故障した時計と病人は同じであり、時計の修理のように身体を細かく部品に分けて観察し修理すればいい」と断定したのです(これを酷評して「時計修繕医学」とも言います)。確かに細かな観察により衛生学が発達して疫病はなくなり、外科手術の恩恵にも多く感謝すべきものがあります。ところが現実はどうですか?金儲け老人医療・検査公害・・・・とヒューマニズムを失った機械論的「医療産業」になり下がっているではありませんか!

  そこで、脉診流経絡治療です。病名治療ではなくあくまでも脉の示す「証」に従って治療を進める真の東洋医学こそ、環境・社会・精神など全てを包括したホリスティック医学の実行できる治療法なのです。

 

  もう一つ時計修繕医学のもたらした弊害があります。薬は症状を代える・あるいは場所を移すだけなのですが、全体的に苦痛も含めてボケてしまうこと治ったと錯覚しているのです。 薬による治癒は決して有り得ません 薬は自分自身で治るまでのつなぎなのです。ところが現代人は自分自身の健康状態を忘れてしまったのか、せっかく脉診流経絡治療で自然治癒力を最高度に発揮できるようにお手伝いして治癒に向かっているのに途中で逆戻りする人が意外と多いんですね。多分余りに薬に慣れ過ぎているのと体力の過信が原因だと思うのですが(ね、そこの耳の痛そうな  あ・な・た・!)。

 

  「こんな私」になる原因を作った自分自身なのですから、ベットに寝るだけで何にもしないで治してもらおうなんてムシが良すぎますよね。医療人とは、介護者・付き添い人という意味から出発しているのですから、患者自身も治療に参加すべきであり、最終的に治すのも自分自身であると思います。

  限りある生命の為に、一緒に頑張っていきましょう。

        脉診流 にき鍼灸院

522−0201  滋賀県彦根市高宮町日の出1406

0749−26−4500



パンフレットの閲覧ページへ戻る   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへ   『にき鍼灸院』のトップページへ