全包括的(ホリスティック)な健康観の為に
仏法講座(?)
和尚さんのお話
(随分表題とは掛け離れた書き出しですが)地球が太陽の周りを回っている惑星の一つであるという「地動説」は今や小学生でも知っていますね。ところが、昔は地球は止まっていて太陽が動くという「天動説」しか信じられていませんでした。
最近の医学書を見ると、昔は人間の身体をまるで機械的構造物のように捉え
ミクロ・コスモス
マクロ・コスモス
ていたのが「小宇宙」という表現に変わってきています。大宇宙と地球の関係のように、小宇宙と人間の関係にも「天動説」「地動説」のような考え方の大変革が起きています。
「あぁ病気は嫌だ、痛いのは嫌だ」と誰でも思いますよね。でも何故病気は存在するのでしょう。そんな疑問を持った方はいませんか?
和尚さんが話してくれた「病気のお話」
(実話です)昔、筆者はお寺で和尚さんからこんな話を聞いたことがあります。「此の世に不必要なものは何ひとつないと思う。病気も必要だから存在している。無茶をして身体に負担を掛けているのを『もうここらで気を付けてくれ、勘弁してくれ』と信号を痛みや凝りや不快感で知らしてくれるのだから、それに逆らってはいけない。むしろ病気は有り難いものだと思わなければいけない」と言われたのです。
事実、痛みや不快感を敏感に感じ表現できる動物は人間だけなのです。例えば胃潰瘍で有名な実験があります。マウスをザルのような箱に入れ水に沈めたり出したりすると、泳げないマウスには大変なストレスがたまり、1時間で胃が溶け出し3時間で血を吐くというものです(拷問かな?やっぱり)。人間ならその前に必ず痛みを感じ、助けを求めて大事に至らないはずです。
病気とは有り難いものなのです。Hi
もっと具体的に病気を例えてみましょう
筆者はよく「病気を最終的に治せるのは本人しかいない」と繰り返します。これは和尚さんの話を頭におきながら病気を草木に例えればすぐ分かります。
まず、病気の種は(家に飛行機が落ちて来た等特殊な場合を除いて、気付かないうちにでも)必ず本人が撒いているのです。親の責任というのもあるけど。Hi.その種に「不養生」という栄養を与えてやるとグングン根が伸びてきます。そして、とうとう土から芽を出し「痛み」や「不快感」という花を咲かせるのです。
〔病気の木〕は本人だけでは刈り取れないので治療に来てもらう訳です。しかし、地上の部分は刈り取らせて頂きますが、根の部分になると治療家だけの力ではどうにもなりません。つまり、私生活が肉食と酒浸りとテレビの前のゴロ寝ではどう考えても治るハズがないからです。養生をしてもらわないと根は刈り取れないのです(別に毎日10km走れとか無茶は言いません、自然体になってもらえればいいんです)。
最後の種になると治療家ではもう手が届きません。どうしてか?症状が取れれば治療は終了なのです。ところが本人の心がけが治っていなければ、また不養生をして病気は復活するからです。どんな病気も最終的には治療に取り組む態度と普段の「心がけ」が問題と思います。
《病気を早く治してやろうなんて考えはド根性が悪い》と和尚さんも・・・ 言わなかったかな?でもね、最近話題の「突然死」は、痛みや不快感を感じられないからいきなり死んでしまう最も悲惨な病気だと思うんですよ。
時代は今、ホリスティック医学に
「尊厳死宣言」の時代、こう考えると一般に行われている医療は本当に人類を幸福にしているのかと疑問に思うんです。病気は「絶対的な悪」ではないと思うんです。コペルニクスは「絶対」を打ち破り「地動説」を唱えましたが、脉診流経絡治療によるホリスティック(全包括的)医学により人類の本当の幸福を追求していきたいと考え、私達治療家は日夜研賛努力をしています。
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