接触鍼が出来なければ鍼灸師は生き残れない

 滋賀県 二木 清文

 

1.鍼灸学なのか鍼灸術なのか

 最近の鍼灸業界は基礎研究はもとより、論文は少ないと言われながらも様々な臨床データの公開や生化学との整合性の検証など、IT時代にふさわしい勢いです。一方ではスポーツ分野や様々な研究団体からの発表があります(一つ気になることは自慢大会になっていて失敗例の報告が極端に少ない事です ⇒ 筆者は9811月号に失敗例に近い末期大腸癌の症例報告をしています)。

 ここで気がつくのは研究分野での「鍼灸学」と、臨床分野での「鍼灸術」に距離が大きいと言う事です。

 確かに西洋医学においても研究と臨床の土俵が離れているとは思うのですが、西洋医学では解剖学を基礎に着々と実現に移されているのに対して、東洋医学の鍼灸は基礎研究と臨床現場が益々離れて行くばかりではないかと危惧するのは筆者だけでしょうか

 筆者も録音テープでしか聞いた事はないのですが、かつて井上恵理先生が「人の良い粉屋の息子が粉を引く石臼の石が大切だそれを動かす水車小屋が大切だそれを動かす水が大切だ」とそそのかされて、「そのとおりだ原理が大切だ」と目を奪われ水の研究に没頭して肝心の粉屋がつぶれていたと言う本末転倒していては何にもならないと笑い話をされていましたが(実は漢方鍼医会のミレニアム夏期研での閉校式で引用されたから思い出した話でしたが)、鍼灸業会も「鍼灸学」なのか「鍼灸術」なのか、本末転倒しないうちに考える時ではないでしょうか。

 

     イ 素晴らしい施設がありました

 筆者は視覚障害者で盲学校出身ですから、晴眼者の養成施設を訪れた事がありませんでした。たまたま今年に治療室の改装で時間が作れた時に、勉強会に来ている学生会員の協力で明治鍼灸大学を見学させていただきました。山奥で単科大学と本人達は言いますが、とても大きく素晴らしい施設ばかりでした。皮肉も入っているでしょうが「ここなら楽しく学習できるだろう」と、学生時代をやり直せるならここに入学したいと思いました。コンピュータネットワークも最新のもので、研究データは直ちに共有できるみたいですし、鍼灸学博士を既に何人も排出されていますから「日本の鍼灸の最高峰はここだ」と感動さえ覚えました。

 ただし、とても貴重な本があるのに「盗難に遭っては大変だから」と普段に限らず学生が立ち入れない所にあったり、標本室も手続きがないと入れなかったりは管理の為とは言いながら学生を骨抜きにはしていないでしょうか。また附属病院では、鍼灸を組み入れた形とは言いながらも鍼灸センターを併設しなければならなかった事情は目をつぶれません。

 他の養成施設にしても盲学校にしても「押しつけるのではなく様々な分野の鍼灸を紹介してその中から学生自身に取捨選択してもらうしかない」との説明でしたが、その割には国家試験突破の為に中医学や西洋医学に片寄った授業になっているのは明白で、縁の薄い良導絡や奇経治療・入江FT・長野式など新潮流を含めて雑誌を自ら開かなければ言葉さえ知らないでしょう。まして経絡治療などは「そんな話も聞いた事がある」みたいな紹介のされ方しかされないように聞きます。非常に憤慨される話でしょうが、「解剖を覚えたくないのなら経絡治療を標榜すれば良い」と教官からの言葉は事実です。

 

     ロ 学校が増設される事・鍼灸師が増える事

 福岡での柔整学校の裁判に敗訴した事をきっかけに、あん摩を除く鍼灸学校の増設も規制緩和の波で開放されてしまいました。ご存じのように一気に十数校もの増設がなされ、毎年排出される鍼灸師の数が一気に千人以上も増える事となりました。

 しかし、門戸が開放されこれだけの学生数になると当然資質維持の為に国家試験の難易度も高くなり、免許浪人も相当数になるのではないかと思われます(試験方法を考慮しないと視覚障害者がほとんど通らなくなるだけでなく、鍼を学生時代に一度も持ったことのない鍼灸師を生みかねません)。学生は増やしても受験資格を得る前に取捨選択されるシステムにしなければならないと思うのです。これは雇用側にとっても新卒者を採用する事が出来ない重大な局面に追い込む事でしょう。

 さらに、計画的に教員の補充が出来たのかという危惧もしています。「そんな文句を今更持ち出して」と言われそうですが、展開が早すぎて業界さえ対処が出来なかったのですから筆者は正直な危惧を申し上げているだけなのです。それこそ「鍼を持ったことのない鍼灸師」が誕生しなければ良いのですが・・・

 

2.大御所の治療室を見学させていただきました

 

   イ 首藤先生の治療室を見学させていただきました

 同じく治療室の改装を利用して本誌でも有名な大御所の先生の治療室を見学させていただきました。

 大分の首藤傳明先生はお話をさせていただいたことさえないのにあつかましく申し込むと、幸いにも漢方鍼医会で発行している機関誌「漢方鍼医」に寄稿した記事を読んで頂き、後から「なかなか見学させてもらえないんだよ」と池田政一先生に教えられてびっくり仰天(まさに知らぬが仏ですね)。大分駅からタクシーで 二十分程にある治療室は、もともと大きな農家との事で百年経過しているとの事です。外見は普通の家で待合室も茶の間と言ったリラックスムード。治療室は 三台のベッドをすばやく回られ(いきなり手引きをしていただく幸せ)、鍼は無痛で気持ち良いのは当たり前でしたがお灸のスピードと熱さ加減の絶妙さには脱帽。

 もう一つ印象的だったのが、奥の部屋に招いていただいた時に3mはあるかと思われる大きな仏壇の前にノートパソコンがちょこんとおいてあったのです。失礼ながら年齢を伺ってもっとびっくり。

 「先月から始めたばかりなんですけど、夏あたりにはメールが送れるようにしたいと思っているんですよ」とは言われていたものの、本誌に掲載された座談会「気至る」の感想を送ったところが本当にメールで返事が返ってきましたから、思わずパソコンの前で直立不動になってしまいました。本当に腰の低い先生で、ただただ尊敬です。

 

    ロ  池田政一先生の治療室を見学させていただきました

 首藤先生の治療室を見学させていただいた明くる日は、珍しく九州や四国でも雪が積もって交通が遅れてしまいご迷惑をおかけしたのですが、池田政一先生の治療室を見学させていただきました。池田先生は余りにも有名ですから今更申し上げる事などないのですが、毎年漢方鍼医会で講演されているそのままの治療室でした。池田先生曰く「それは研修会用の実技ですかと聞かれた事があるが、そんな馬鹿な実技があるか」で、ユーモアたっぷりのおしゃべりに加えて不問診に近い脉診ですから、患者も安心して任せきりという雰囲気でした。待合室には漢方薬の匂いが立ちこめているのと、スタッフがインターナショナルなのが印象的でした。

 

 

3.接触鍼が出来なければ鍼灸師は生き残れない

 お二人の大御所の先生をお訪ねして、もちろん筆者も脉診流鍼灸術しか行っていないのですが、お人柄だけでなく治療室からにじみ出るようなものを感じて興奮しながら帰って来ました(一緒に行動した滋賀のもう一人の仲間も飲めないビールを機嫌良く飲んでいましたからその度合いがわかるでしょう)。

 首藤先生の治療室を見学中に、奥の部屋に招いていただくという筆者達には過分なおもてなしを受けてしまいました。《経絡治療のすすめ》を書き始めたのは「誰かこんな記事を書いて欲しい」と喋ったら「お前が言い出しっぺだから書け」と言われたのがきっかけで(まだ二十代だったそうです)、最初に掲載された時にはどれ程文句が来るだろうかと心配していたら五十通もの手紙は励ましで、唯一文句が書いてあったのがあの福島弘道先生だったからびっくりして戸部主幹に連絡すると「もっと良く内容を読めば本当の文句であるはずがない」と言われて読み返すと、「古典の和訓が一部気にいらない」との事だったそうです。「以来五十年近くも書いていたら今日になってしまいました」とまたまた腰の低さに脱帽。

 もう一人が「鍼は人なりとありましたがもう少しかみ砕いて教えて下さい」との質問に、「同じくらいのレベルの人がいて同じ様な治療をしたのに結果に差が生じてしまうのは、最終的には人柄によってにじみ出る《気》の差によると言いたいんだよ」との事で、他のどの職業においても言える事だとは思いますが、人は人によって造られますからまして「治療」という人の命を預かる職業ですから《人柄》が治療結果を大きく左右する事など良く知っていたはずなのに、改めて心に沁みるお言葉でした。

 

   イ  これからの医学情勢を考えると

 首藤先生とのお話の中で、昨日の学校訪問の感想と学校増設の話をしていると、「これからは医者さえも余るだろうし、開業が出来ずに医者家業では食えない人達も出てくるだろうから鍼灸の分野に進出されるのは明白で、その中で増加する一途の鍼灸師が食える為には接触鍼が出来なければならない」と力説されました。要約すると、井上恵理先生がよく言われていたように鍼が効きすぎるからまかり通って来たけれど医者達は刺鍼する事しか試みないから、鍼灸師にしか出来ない接触鍼で治療する技術でなければ生き残れないし鍼灸も守れないとの事です。

 池田先生も、保険医療の動向によっては医者に鍼灸師が大量に雇われるかも知れないが同時に鍼灸師そのものが使い捨てにされてしまう可能性も出てくるという事で、やはり己の実力によって開業して自活するしか独自性を守りながら生き残る手段はない。その点で今こそ脉診流鍼灸術に取り組まなければならないとの事です。

 生意気ながら筆者も思います。鍼灸師の立場から考えると、どうしても患者の身体に刺鍼をして「いくら」という発想になるのでしょうが、患者は本当に刺鍼される事を望んでいるのでしょうか?以前にも書いた事がありますが、学生時代に刺鍼練習から始めるのは当然としてそのうちに劇的効果に出会ってしまうと刺鍼をしないと満足しない・気が済まないようになります。しかし、難病を克服する事が患者・治療家双方の真の目的である事を思い出せば、なるべく早く・出来れば痛くなく・望めるなら気持ち良く病から開放されたいのであって刺鍼をされるかどうかは患者にとっては関係のない話だったはずです。

勉強会で目につくのは視覚障害者もそうですが、特に晴眼者の刺鍼時の姿勢が悪いので無痛で刺鍼する事は不可能だろうなと言う事です。あるいは鍼灸院を渡り歩く患者は少なくないのですが、決まって聞く言葉は「治療が痛かった」という事です。とどめに脉診流の特徴の一つに自己治療も優秀だという事があげられ殆どの脉診流の治療家は取り組んでいますが、「痛い」と言われる鍼灸院は自らの身体へ刺鍼する事を怠っているのではないでしょうか?体調の話になった時に「何故自己治療をしないのか」と尋ねると「鍼は痛いから嫌だ」と答えた鍼灸師には開いた口がふさがりませんでした(内心は穏やかじゃありません)。

 

    ロ  毫鍼のみで、良いのか

 海外からの報告を聞いていると、あんなに太い中国鍼を有無を言わさず突き立てているかと思えばアメリカでは手袋装着の上に押手を添えないなど、「私の常識・あなたの非常識」状態で、鍼のバリエーションを感心するというよりも節操のなさに「鍼灸とは一体どんなものだったのだろう」と問いかけたくなります。

 単純な筆者は、毫鍼のみを用いようとするからこのような節操のなさにつながるのではないかと思うのです。まして刺鍼ばかりに執着しているから、経穴を用いていると言いながらも、経穴の特性に頼るばかりで経絡の力を何も認めていない、いや見えなくなってしまったのだとは書きすぎでしょうか?

 筆者は刺鍼する事や毫鍼を否定しているのではありません。事実、毎日の臨床では 「調整すべき深さに鍼をする」のですから臀部では寸三を押手いっぱいまで刺すことなど当たり前ですし、捻挫への関節内刺鍼や目的によっては置鍼などもします。しかし、いわゆる手足の五行穴を駆使する本治法では瑚Iのみですし、標治法にしても病理変化が血脈やそれより深い位置にあるなら毫鍼で接触や鍼管を用いての刺鍼をしますが、病理変化が皮毛のみなら瑚Iを用います。その割合は瑚Iが60%・毫鍼が40%(うち置鍼は三分の一)程度で、つまり瑚Iのみで治療をしているケースの方が多いのです。又瑚Iだけでなく、員鍼やローラー鍼など電気鍼以外の様々な道具は用いていますし、中位のC血に用いる知熱灸や少ないものの透熱灸も用いています。

 

    ハ  瑚Iをどのように考えるか

 標治法に瑚Iを用い始めたきっかけは、高校生が背筋の肉離れを起こした時に寝るまでは完全に回復しているのに朝になると痛くて起きあがれないと何日も通わせてしまい、追い詰められたどさくさに用いての好成績からです。(原因はセミダブルのベッドの溝に背中がはまりこんで毎晩筋肉を裂なおしていたのでした。病理変化が皮毛もしくは血脈程度なら深く刺鍼してはいけないと注意はしていましたが、毫鍼は接触させるだけでわずかでも身体に進入するので純粋に皮毛部分の病理変化を調整するには、絶対に刺さることのない瑚Iでなければならないと気づいたのです。やはり治療は生き物ですから、常に患者の身体に学ばなければいけないのですね。

 ちなみに毫鍼か瑚Iかの決定方法は、肩上部や腰部膀胱経二行線で左右それぞれに毫鍼と瑚Iを振り分けて明らかに緩む側を選択するのですが、分かりにくければ左右をひっくり返して重ねて散鍼すれば良いのです。あらかじめ用鍼を予想する事によってあなたの病理考察の力は増すでしょう。

 大阪漢方鍼医会の森本繁太郎先生が考案された「森本瑚I」を紹介されたのは、それでも本治法にはまだ毫鍼を用いていた時でした。(森本先生は全ての治療を瑚Iで行われているとの事です)。早速試してみると本治法の響きが毫鍼よりは緩慢なものの、いつまでも浸みてくるという感じで治療力に差のないことは一度で体感できました。瀉法に関しても押し手の加圧によって実現されるのですから何ら問題はなく、難経七十五難型の肺虚肝実証に用いる栄気の手法に関しても「しなり」のない点を工夫するだけでむしろ効果的となり、本治法を瑚Iに全て切り替えるまでに数日とはかかりませんでした(補瀉法については漢方鍼医会の学術検討委員会で夏期研用にまとめたものがあります)。

 考えてみれば霊枢「九鍼十二原篇」に既に毫鍼は出てくるのですが、その当時の技術では現在のように細い毫鍼が製作できたはずがありません。しかし、ある程度は細くて体幹なら刺入のできる鍼はあったかも知れません。そして、現代の教育のように刺鍼練習から始めて劇的効果に出会ってしまうと、その魅力に取りつかれて刺鍼しなくては気が済まないまでも、刺鍼の方が効果があると信じて疑わないのは当然です。でも・・・五行穴や 五要穴といった末端の経穴に当時の毫鍼を刺鍼するなら、どんな神技的技術をもってしてもさぞ痛かった事でしょう。そんな事をしたはずがありません。五行穴や五要穴は元々瑚Iで運用するものであって、それが毫鍼の魔力と製策の技術革新によっていつの間にか勘違いから置き換わってしまったと仮定すればどうでしょうか

 確かに毫鍼の響きや著効はすごい。しかし、雪の降る地方の人なら想像して下さい。融雪に水をまく時に高圧栓なら仕事は早いもののアスファルトがみえると次々進んで溶かし残しが多いのに対して、普通圧栓なら仕事は遅いものの溶かし残しのないきれいな仕事となります。これを鍼に置き換えると、毫鍼はさながら高圧栓で響きや仕事は早いものの荒削りで、瑚Iは普通圧栓で響きも仕事も毫鍼に比べれば緩慢かも知れませんがきれいにまとまるかも知れません。少なくとも五行穴を用いる本治法においては響きが緩満でも患者の身体に浸み通るまで寝かせておけば良いだけの話で治療家には何の負担も発生しませんし、仕事がきれいならその方が良いのではないかと言うのが筆者の発想です。確かにシングルヒットよりホームランの方が魅力的ですが、最初からのホームラン狙いでは凡打や 三振のリスクも高くなり、プロとしてはどちらを選択すべきでしょうか?

 

 

4.接触鍼は脉診流鍼灸術しかない

 背部の標治法をしていた時に患者に聞かれました。「その鍼はどのくらい刺さっているのですか」。毫鍼が接触するだけでもどうしても体内へ進入してしまいますから、ちょっとひねって「600ミクロンから800ミクロンです」と答えました。これは言葉の綾で、 1ミリに達しないのですから06ミリと言っても良いのですが「ミクロン」と聞けば何となくカッコイイので喋ってみると助手から尊敬の眼差し。これも気を高める手法だと言えば半分口で治していると書かずに済むのですが・・・。

 ところで、800ミクロンの鍼だけをするだけで患者は治るのでしょうか脉診流の鍼灸術と言えども、単に接触鍼だけでは病気を治癒させることは不可能でしょう。脉診してその他の四診法から病理考察して決定し、選経・選穴によって『経絡』を運用してこそ接触鍼は効果を発揮するです。

 筆者はカイロ的手法も多用しますが、それは経絡の流れを物理的に阻害する要因があるからで徒手で取り除けるならより速く経絡は回復すると考えるからであって、カイロは反作用によって戻るのが早いのに対して経絡治療ではすっかり緩めてから矯正する角度に傾けるだけですから力もいらず反作用も発生しないので矯正力も負けないと思っています。それよりも、本治法さえあれば関節はいずれ征服しますから、矯正法を取り上げられてもなんら支障は感じませんが、脉診を禁じられたら治療を続ける自信がないのです。

 

 鍼がディスポになってしまったように、池田先生が警告されるが如く鍼灸師そのものさえディスポに陥ってしまうかも知れません。鍼灸師として独自性を守り生き残りたいのなら、脉診流の鍼灸術に取り組んで接触鍼によって治療する技術を習得するしかないと筆者は主張します。

522-0201 滋賀県彦根市高宮町日の出1406 0749-26-4500

E-mail    myakushin2001@hotmail.com




論文の閲覧ページへ   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへ   『にき鍼灸院』のトップページへ