楽しめる治療室を目指して

  滋賀支部  二木 清文

 

経絡鍼療の通巻300号誠におめでとうございます。単独の学術集団の機関誌がここまで続いてきたのも本部の先生方の努力と全国の経絡治療に情熱を燃やす同志の力があったからだと感謝し、後発の私ごとき鍼灸師が世間からは羨ましがられるような生計を営んでいられることを胸に刻んで改めて感謝の言葉を贈りたいと思います。本当に「東洋はり医学会、ありがとうございます」。

ところで営業繁栄の秘訣の題で文章の募集がありましたので何かの参考になればと思い生意気ですが私なりのやり方を少し書かせていただきました。

最初に私にインパクトを与えたのは第9回経絡大の研究部シンポジウム「営業繁栄の秘訣」でテープがすり切れるほど聞きました。その中での塩見先生の言葉は今でも印刷して治療室に掲げてあります。即ち、

 【人間として】  か 感謝する人間でなければならない

 き 気の付く人間でなければならない  く 苦労を惜しむ人間ではいけない

 け 謙虚な人間でなければならない   こ 心の広い人間でなければならない

 【治療家として】か 感覚を磨かなければならない

 き 「気」「気迫」を持たねばならない く 工夫をしなければならない

 け 決断力を持たねばならない     こ 根性を持たねばならない     と言うものでした。

また師匠である丸尾頼廉康先生からは、「患者の顔を見るだけでそろばんははじけてしまうのだがそれでは治療とは言えない、算術ではなく仁術に徹せよ」と言うことと「患者は自らの身体を提供してこちらの行為に対して答えを出してくれるのだから常に感謝し一人一人が師匠だと思わなければならない」と言う言葉を開業に際して頂きました。

この言葉を胸に病苦に悩める患者を一人でも多く救おう・・・...と理想を抱いて意気込みたいのですが、私のような人間では理想と現実のギャップが大きすぎます。無理なことを目指して背伸びばかりではすぐに息切れがして結局はお金に目のくらんだ経絡治療とは名ばかりの「針刺し職人」に成り下がってしまうから・・・

 

そこで、例えば病院で自分が嫌だったと感じてたことは80~90%の人達が同じように嫌だったと感じていただろうし自分がこんな風だったら良かったのにと考えたことは70~80%の人達もそうだったら嬉しいだろうと思ったのです。つまり、『自分が嫌だったことは総て止めよう、自分がこうして欲しかったと思うことだけを目指そう』これだけにこだわることとしました。

具体的には・・・@「完全予約制にし待ち時間を無くす」このために能力より多めのベッドを用意しました。A「仕事を固める」ことは患者側にとっても安心感を与え効率化が図れます。B「継続治療にする」と言うことは約束があれば割と正直に来院するものですからスケジュール管理が楽になります(これは本質的にはかなり難しいことなのでしょうが前項が達成されていれば他の患者の動向から連鎖反応で可能になってくるものです)。

ここまでは一般的にも行われていることでしょうが私のアイデアは、CB4サイズ程度のパンフレットを多数制作しました。肩こりや腰痛など具体的疾患名の解説も最近は患者の要望で作り始めましたが、概ねは抽象的なタイトルで読み物として患者教育を目的としました。世間から見れば相当にわがままなことを書いています。例えば「病気は必要だから存在する」「病気とは人間を優しくさせるための柔軟剤・人間的成長の促進剤」とか、「時計修繕医学」「こんな私に誰がした=自分の責任」「スポーツと治療の関係」や経絡鍼療の投稿文からの抜粋など過激なものも含めて常時スタンドに並べています。相当に信頼関係がないと素直に読んでくれないものが多いのですが、一旦信頼をしてくれれば素人的な医学観念を捨てて東洋的な考えをしてくれるようになります。治療家一人が治療の出来る人数は人口から見れば知れたものなのでしょうが医学観念が変わればそれだけ未病治療が達成されたことになり、より質の高い治療に取り組むことが出来るようになると思いますし営業も繁栄します。これも私の目指すホリスティック医学の一貫だと思っています。

そして、E本当に頼られる治療家はいつも同じ目の高さで患者と接することが出来なければならないと考えています。しかし、これは案外簡単に実現できます。気取らずに構えずに友達のようにして患者に接することだと思います(私は関西弁丸出汁でいつも同窓会の雰囲気で笑いが絶えないように自分も楽しんでいます)。『冗談は言うけれど嘘はつかない』と言うところが大切ですね。自分が楽しむというステータスですね。

 

私の治療室でも何人かの看護婦の卵たちをアルバイトに使ってきましたが、彼女たちと医学論議の中でいつも話すことがあります。

『もちろん我々鍼医者も含めて医者に行くということは身体が治るということだから本来は嬉しくて仕方がないといけないはずじゃないんだろうか?身体が治るということは心も晴れるという事だから何か悩みがあるだけでも医者に行きたいと思われるくらいになってもいいんじゃないか?それなのに世間から医者は毛嫌いされている。そりゃ僕らの時代よりずっと前から医者嫌いという言葉は存在するけれど、その医者嫌いという言葉を生きながらえさせている僕らが本当は一番悪いんじゃない?

最後に、私はいつも患者と喋っていて何かを必死で探していたのですが自分でも不思議でした。それがつい最近になって判明したのです。それは・・・         「オチ」でした(やっぱり関西人やったねぇ)。




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