<鍼灸ジャーナルvol1420105月発行)/松田博公対談シリーズより

 

松田 今日はお忙しいところ貴重なお時間をいただき、また臨床も見せていただいて、ありがとうございました。ほんとに、近所の方と子育て談義をされたり、なごやかな鍼灸院ですね。子どもさんへの小児鍼も脈を診てツボを使うというやり方をしておられて、同じく刺さないにしてもそういう方法があるんだと教えていただきました。

二木 のっけから誉めていただいて恐縮です。

松田 来る前に治療院のホームページも見たのですが、すごいですね。150本の充実した論文を掲載し、誰もがダウンロードして学習できるということをやってる鍼灸師さんは他にいないと思いますよ。

二木 自分がやったことを他人に共有していただいても、損はありませんからね。

松田 鍼灸界のためにありがたいですよ。いろんな鍼灸師、研究者さんが、いろんな論文を書いているけど、なかなかそうされる方がいない。論文を探し出す苦労を考えれば、先生のオープンなやり方はこれからの鍼灸師のあるべき姿だと思います。ところで、先生は臨床歴20年になるなかで、いろんな手法を試み、今は”ていしん”のみで治療しておられる。これは、一般的な常識から言うと、やっぱり驚きなんですよね。今日ぜひともお伺いしたのは、そのことなんです。

二木 私の所属する漢方鍼医会ではあまり驚きではないですね。

松田 そうですか。そこに到達した過程をお聞きしたいと思って伺ったんです。それが本当に可能であるということは、先程臨床を見せていただいて目の当たりにしたのですが、そこに至る道はそれほど平坦ではなかったと思うんですよ。

二木 そうですね。”ていしん”のみになったのは10年くらい前ですかね。

松田 その前は刺すことから始められたわけですね。

二木 そうです。出身は滋賀県立盲学校ですけど学生時代から本当にクソ生意気なんですが、鍼灸だけで身を立てたいと思っていたんです。その当時の盲学校の傾向としては、全盲と中途失明の方は自宅開業、学齢の1回も落ちずにストレートで進級してきた方は病院勤務というのがパターンだったんです。だから当然私も病院勤務だと思われていたのですが、私は「病院の研修なんか行かん」と言ったんです。実際には遠い親戚に理学療法士がいて「1回病院も見てみたら」ということで、二日間の研修には行かせてもらっているんです。1年生の解剖の授業が筋肉までいったくらいのときでした。骨格系がまだしっかり分かっていない頃に1回見せてもらいました。でも僕の行く所ではないなと思いました。

松田 そうですか。それくらい鍼灸というものが可能性を持った医療というか、いろんな病気をトータルに治療できる医療だということをすでに分かっていたということですか。

二木 病院は行く所ではないと思ったことの1つは、リハビリに来ている患者さんがドクターと距離がありすぎると痛感したからです。僕はもっと患者さんと密接な関係の中で、積極的なことをやりたかったから、性に合わないと思ったんです。もう1つは、その病院に盲学校の先輩たちが勤務していたので、「この腰痛は、こんな鍼とか按摩をしたら、もう少しこの患者さんは楽になるんじゃないですか」と聞いてみたんですよ。そうしたら「職域を超えるからダメだ」と言われたんです。また先輩は「街の開業鍼灸師を圧迫するからせんのや」と答えてもいたのですが、その言葉の裏には「ドクターの手前もあるし、面倒臭いことはやめよう」という心理が見え隠れしていました。だから、自分がやりたいことを、しっかりできないような所には行きたくないと思って研修さえ病院を蹴ったんです。

松田 そうなると開業鍼灸師の道しかありませんよね。

二木 そうなんです。でも同じ頃なんですが、学校の先生が腰痛になり「あなた、鍼ができるようになったんやから、ちょっと診てくれへんか」ということで治療らしきことをしたんです。当時は知識も浅はかで、伏臥位にして腰をズブズブ刺してたら、痙攣させてしまったんです。その先生は痛いわーという顔をしながら「楽になったわー」と言って帰られました。でも楽になってるはずないやんと思いました。

松田 それ以上やってほしくなくて、そう言った(笑)。

二木 そんな感じです。そうしたらその先生が運悪く、数週間後に髄膜炎で入院されたんですよ。

松田 まさかその鍼のせいですか。

二木 いや、違います。潜伏期間からすると、僕が鍼をするずっと前に感染してたから「お前の鍼は関係ないよ」と言われました。でも何となく、それも慰めにしか聞こえなくて……。そんなことではダメだ、鍼の可能性をもっと追究しなくてはならないと思いましたね。

またそれと同時に、自分にも原因不明の眼球の痛みがあって、それを何とかコントロールしたいというのもありました。それらが重なって「もっと鍼のことを極めなあかん」という気持ちが高まってきたんです。

松田 最初はどういった形で修行を始められたのですか。

二木 僕の学校の先輩たちが、その1年前(1985年)、僕が専攻科二年生の時に、東洋はり医学会滋賀支部を組織したんですね。なかなか優秀な先輩がおられて、大阪の先生の所に1週間ほど研修に行かれました。1週間もあると、知識的にも伸びるんです。僕はまだその時、経絡治療の世界は知りませんでした。そこで、その大阪の先生に「僕も研修に行きたい」と言ったんです。そうしたら「来てもいいよ」ということになり、それから必死に勉強するようになったんです。大ぼらが化けることは経験してましたから(笑)。それで行ったのですが、例えば、首のものすごい硬結が足に鍼をするだけで、スーっとその場で引いていくのを見たりして、すごく刺激になりました。

それに、その先生の所はベッドが3床しかない狭い治療室だったので、いつまでも居座られたら困るからかもしれませんが、そこそこ治ったら患者に「もう予約は取らなくていいよ、今回で終了だよ」と言っていました。その時、「もう来なくていい」と言う先生のやり方はすごいと思いました。

松田 いつまでも治療院に引き付けない。それこそ医療の本質ですよね。どんどん患者さんを健康にして、治療院に来なくさせるのが本来の医療ですよね。

二木 はい。これはすごいなと通いながら、毎日勉強しました。でも種明かしをすると、本治法や配穴、脈を診ることを一生懸命には覚えてから見学したんですけど、当時の私は「何で背中にも治療をするんですか」と、おバカなことを聞くくらいのレベルだったんです。

松田 それは手足の要穴だけで治療できると考えていたということですか。

二木 はい、本を読むだけの学習しかしていませんでしたから。

松田 その先生は経絡治療家だったのですか。

二木 そうです。東洋はり医学会の滋賀支部に指導に来ていただいた大阪の先生でした。研修では、本治法だけで時間がいっぱいになってしまうので、背中への治療を見たことがなかったんですよ。そうしたら背中にも一生懸命、お灸をしたり、置鍼したり……。それで「何で背中に治療するんですか」と聞くくらいのレベルだったんです。でもその10日間、行きも帰りも電車のなかでずっと本を読み続けて、疑問を全部投げつけながら成長させていただきました。

松田 福島弘道先生の本ですか。

二木 そうです。前日に勉強して治療を見て、それでも分からなかったらまた本を読んで……ということを繰り返したんです。

松田 それが経絡治療への入門だったんですね。

二木 そうですね。もう1つ、見学を終えて間もなく「近畿青年洋上大学」で中国に14日間行ったときに、体験したことが大きかったですね。学んだことはやってみたいし、鍼ができるということで周りから「船酔いしたらお前、打てよ」ということになりました。そうしたら案の定、船酔いだけでなく、他にもいっぱい症状が出るんですよ。標治法はある程度どうするのかは分かりましたけど、本治法は覚えたてで、レベル的には肝虚なら曲泉・陰谷、肺虚なら太淵・太白しか知らないくらい。経渠・商丘などのちょっとずらした組み合わせやパターンは全然知らないレベルだったのですが、必死にやったら効いたんです。患者さんも若くて、一過性だったからでしょうけど。でも、効くとものすごく嬉しかったですね。そのうち、気分が悪くなって倒れる人や、頭痛がして頭が上がらなくなった人、飛行機の中で胃炎を起こす人も出てきたり、不眠症で1週間寝ていないような人をやれと無理難題を言われたんですが、逃げ場がないんですね。そんななかで、覚えている知識で処理できたことは自信になりました。

当時の滋賀県立盲学校の3年生の臨床というのは、継続患者を持っていて、何をしてもいいというスタイルでした。それこそ、パルス鍼で通電治療しようが、赤外線を当てようが、超音波当てようが何してもいいよと。それで2学期から、「何してもいいなら、按摩やめてもええか」と言ってやったんです(笑)。担当教員も言った手前「やめてもいい」と。それで按摩をやめたんです。

松田 そういう学生が他にいなかったんですか。

二木 いませんでした。

松田 それくらい鍼のみで治療することは変わったことだった。

二木 そうですね。大阪の先生の所で受けた研修と、「近畿青年洋上大学」での経験で相当に変わりましたね。

松田 向こうで中国の鍼を見たわけではないんですか。

二木 一応見ましたし、軽くは打ってもらいました。でも全然関心がありませんでした。

松田 参考にならなかった。これはすごいと中医学に行こうとは思わなかった。

二木 そうですね。「脈を診ますか」と中国の学生に聞いたら、「脈なんか知らん」と言われたから、そりゃあかんと思って。

松田 だから中医学に惹かれるということもなかった。

二木 全然ありませんでした(笑)。

松田 帰ってこられてからは、その大阪の先生に付いてずっと経絡治療をやってこられたのですか。

二木 帰国して、すぐその先生に助手に入って自分も開業したいと申し出ました。そうしたら「よっしゃ、分かった。あんたやったら何とかしたろ」と言うので、てっきりその先生の所に入れてくれると思ったんですよ。そうしたら、自分の所に入れる気はなくて、他の先生を一生懸命探してはったんです。それで僕のお師匠さんを紹介してくれたわけです。

松田 そのお師匠さんは彦根の方ですか?

二木 いえ、違います。丸尾頼廉先生という尼崎の方です。もともと船乗りだったのですが、事故で片大腿を切断されたので、しかたがなく陸に上がって、いろいろ職業を転々とするうちに、理髪店で助手を置くくらいになったそうです。それで、サービスとしてできたらいいということで、按摩科の夜学に入学されたそうです。当時、按摩科は入りたいと言えばいくらでも入れたらしくて。そうして1年くらいたった時に、髭を剃っている時の力があまりにも強いことを指摘されたそうです。これは「いかんな」ということで、学校を辞めるか理髪店を辞めるかと考えた時に、按摩の道のほうに行ってしまったということらしいです。

松田 そして按摩から更に鍼のほうへ。

二木 そうです。

松田 その先生は経絡治療だったのですか。

二木 そうです。その丸尾先生の師匠の先生は、本を出す前に亡くなってしまった無名の大家なんです。当時、助手が5、6人、1日の患者数が多いと120人くらい来ていたそうです。

松田 すごいですね。

二木 待ち合い室なんか“さじき”だったそうですから。

松田 じゃあ、治療時間も短いのですね。

二木 そうです。ベッドを5床くらい並べてやっていたそうです。それで、ちょっと変わっているのですが、先生が全部標治法をされて、本治法は助手が最後にベッドから椅子に写ってもらってやっていたそうです。もちろん、訓練を積んでからなんでしょうけど。

松田 むしろ標治法に特色のある鍼灸師だった。

二木 僕もそれを受けたことがないので分からないのですが、お腹の按摩を一生懸命やってらしたんですよ。脈診がすごい先生だったのですが、「脈で分からない所は、お腹で診なければならない」と言っていたらしいです。

松田 それは腹診ということですか。

二木 結構揉んでいたということですが、腹診だと思います。いまだにそれが何のことだか分からないんですけど……。でも、脈診で30年前の結核を言い当てたり、「1週間に何回来い、それで治す」と言っていたらしいです。脉診段階で治療間隔と回数を言い当てるのはもちろん、例えば頚腕症候群の患者が言われた通りの回数を通ってもまだ痛みが不十分だと余計に来院すると、脉を診るなり「おまえはもう来んでいいと言うたやろ」と瞬間沸騰機です。「そんなこと言われても痛みが」「もう三日したら治る」と本当に追い返したのですが、その通りに治ったと言いますから大した自信です。但し、治らないものは治らないと言いましたし、判らないものは判らないとも言ったそうです。これも大した人物だと思います。

どうしてそんな技術が身に付いたのか、多分指先で脉状を徹底的に覚え込むしかなかったでしょう。事実、丸尾先生も助手時代には緊脉や弦脉というのは痛みを表す脉であって寸関尺は天人地に一致し左右も一致しているから、患者のどの部位に痛みがあるかくらいは不問診で診察できたと言われていました。

 そういう所で修行をされていた丸尾先生が独立されて、しばらくは大師匠のやり方でやっていたが、大師匠が早くに亡くなられ、一緒に勉強する人がいないと寂しいということで、東洋はり医学会に入られたそうです。それから「助手を取らへんか」ということになり、助手が来るのであれば東洋はり医学会しか知らないから、東洋はり医学会のやり方をしなければならないということで、その時に大師匠のやり方から、東洋はり医学会のやり方にほぼ切り替えたということでした。だから僕が助手に行った時は、とにかく不問診をしなさいと言われたんです。

松田 つまり脈を診るということですね。

二木 はい。脈を診て患者の状態を分かれと言うだけで、脈の見方については何にも教えてもらえませんでした(笑)。「肺虚や肝虚を診るのではなくて、まずは不問診をしろ」と言われました。

松田 でもそれは、東洋はり医学会のやり方ではないですよね。

二木 違いますが、不問診だけでなく脈を診て、どこを優先させるのかということは、東洋はり医学会でも確かに言っていました。

松田 柳谷素霊がいた昭和10年代には、不問診について資料が蓄積されていましたよね。

二木 はい。

松田 その伝統を引いておられた。

二木 そうみたいですね。1番よく分かっていた頃は、脈を診て、右が痛いのか左が痛いのか、上のほうに痛いのか下のほうに痛いのか、あとマグネットがどこかに付いていて、それが表か裏かくらいは分かっていましたね。僕もそうですが。

松田 えっ、どうやったら分かるんですか。

二木 口で表せたら不問診の資料として投稿したいのですが、言えないんです。

松田 それは脈を診た時にぱっと分かるんですか。

二木 はい。

松田 3本指を寸関尺に当てますよね。それで分かるということですか。

二木 そうです。基本的に痛い側の脈は細くなるし、寸関尺が天地人に配当されているから、あるいは上焦・中焦・下焦ですが、寸口のほうだったら頭部に症状があるということになります。概略はそうなるのですが……。

松田 言葉では表せない、直感的なひらめきみたいなものがあるということですね。そのまま進んでいったら、「天才鍼灸師現る」になっていたわけですね。超能力者にね(笑)。でも先生は、そこにとどまってはいなかった。

二木 丸尾先生もそうだったのですが、自分でやるようになると証を考えなければならないので、超能力的にはできなくなってしまうというか、それだけに集中できなくなってしまいます。脈診はどの先生も言われているように、いろいろな角度でいろいろな診方があります。その時は、証を気にする必要がなかったから、別の部分を大きく診ることができたのですが、それでは1人で患者さんを診ていく脈診にはなりません。

松田 それが超能力者と修業を経た鍼灸師との違いですよね。つまり、論理化したり、システム化して人に伝えたり、自分自身で知識を蓄積していくとなると、超能力的な部分は後ろに引いてしまうという関係ですよね。

二木 そうですね。逆に言えば証決定のウェイトを減らす方法さえあれば脉状診に専念でき、大師匠のような脉診が習得可能になるかも知れません。でもいまだにそれが背景にはあるので、うちの助手の子たちにも「不問診をしなさい。それが将来バックグラウンドになって、何かの時に役に立つから」と言っています。間違った場合でも患者さんは助手が間違っただけだと思われるし、あっていれば「先生いい教育していますね」ということになるから。だから怖がらずに、脈を診て何か思うことがあったら患者さんに聞いてみる、それが脈診を上達させる方法だと言っています。

松田 脈の直感的な世界は、本当にそういうものなんでしょうね。肝虚だ腎虚だというような固定的な脈診になると、それだけでしか診なくなって世界が狭くなる。

二木 最初からそれだけで入ってしまうとそうですね。

松田 いまのお話は、脈の大きな可能性をもう1度見直すという意味で、いいお話だと思いますね。今日の臨床の仲でぎっくり腰の患者さんは、左右で脈の状態がどちらかが細くなりどちらかが開いていると大きく違うということで病位を指摘しておられましたし、両方の寸が強い脈だったなら骨折であるということも教えていただきましたが、いいお土産をいただきました。

二木 明らかに言葉にできるものだけは、いくつかまとめてあります。胃潰瘍だったら脾の部分ですよね、右の関上だけが穴のあいた洪脈になっている。そういうように、いくつかは言い表せるようになったものもあります。

松田 でも証は必要だと。

二木 そうです。

松田 それは、身体全体を診て、証を立てて配穴をし、一定の客観性を持って治療を進めていくために必要だということですね。

二木 「証」は、絶対に必要です。治療効率から言っても絶対に必要です。

松田 そういう理由で先生はそちらの道に進まれた。

二木 はい。師匠は大師匠の流れを汲んでいて、少し特殊な治療をされていました。長時間の伏臥位や仰臥位に不都合がなければ、寸6の5番か寸3の2番で、まず置鍼をするんです。3040分くらいの置鍼で、しかもものすごい数でした。

松田 そうですか。それは経絡治療の“たいやき療法”とは関係ないのですか。

二木 結びつけようと思えば、今だったらそう考えるのかもしれません。ただ経絡治療という枠組みで言うと、まず本治法があってのことです。けれど師匠は、背中の置鍼が終わってから、腹部などに置鍼をして最後に本治法をされていました。最後の仕上げという感じですね。置鍼で肩凝りなどは、わりと取れていましたね。最後に本治法をするとほとんどの症状は回復するのですが、もうちょっとの時に、脈で邪が残っていないかを診て、軽く瀉すという方法でした。例えば、首の突っ張りがまだあるとなったら、胆経・胃経・大腸経に残っているか確認して、チョンと瀉して終わるというやり方でした。

松田 それは今も先生のシステムのなかに残っていますか。

二木 残っていません(笑)。

松田 そうすると、どこかで袂を分かってしまったわけですか。

二木 今でもお付き合いはあります。

松田 先生はどうして東洋はり医学会から漢方鍼医会に行かれたのですか。

二木 開業する時に、僕はやっぱり“本治法をして標治法をする”というオーソドックスな経絡治療をしたかったんです。それに、置鍼をほとんどの方は好まれていましたが、やっぱり時間的に難しかったんです。というのも、予約制とはいっても患者さんは好きな時に来られるという感じでした。予約制を徹底し、次はいつとはっきりさせて、患者さんを仕上げていこうと思うと、先に置鍼をするやり方は難しいと思いました。だから開業時に、本治法をして標治法をするというやり方に切り替えたんです。でもお師匠さんはそれについて何も批判をされなかったので、すごく感謝しています。

松田 それはありがたいですね。

二木 それで東洋はり医学会で勉強を続けていくうちに、そのあと漢方鍼医会を創設された先生たちが発言され始めたんです。

松田 それは福島賢治先生たちですか。

二木 そうです。福島賢治先生、加賀谷雅彦先生、新井康弘先生、新井敏弘先生たちです。今は分かりませんが、当時の東洋はり医学会の証の立て方は、まず病症がどこどこにあってこの経絡の配当にあって……と、それだけではありませんが、問診でできるだけ病症の多い経絡を考えてから、最後は脈診で決めるというやり方だったんです。病症の経絡的弁別と呼んでいたのですけど、気を労しているのは肺・筋肉の痛みは肝などと病症がどの経絡と関係しているかを仕分けして、変動が一番大きな経絡を主証にと狙いを定めていこうというやり方でした。そして相克調整というやり方でしたから、陰経でも三経に多いと四経に鍼を入れていましたから、序列の決定のようなものでした。

松田 証も脈で取っていた。

二木 そうです。主に脈で取っていました。

松田 先生もそのやり方でやっておられたわけですよね。

二木 最初はそうでした。それで疑問を持ち始めたんです。

松田 どういう疑問ですか。

二木 例えば風邪の患者さんが来られたら、思い込みを含めて、オーソドックスにというか無理矢理にというか肺虚だと診察して、一応納得して治療するわけですよ。それで治らないからおかしいということで、例えば肝虚や腎虚で治療すると、治ることがあるわけです。

 あと助手に入ったその年の冬に自分自身の経験で、咳が止まらなくて、おかしいと思いながらも、先生にも患者さんにも迷惑がかかるから、1週間くらい寝て治すしかないかなと思っていました。薬を飲むことなんか眼中にありませんでしたから(笑)。でも、いくら肺虚で治療しても先生に治療をしてもらっても治らなかった。そこではたと、口のなかに唾が溜まっていることに気が付いたんです。それで「泣、汗、涎、涕、唾」だなと思いました。たまたま福島弘道先生のテープにもそういう話が出ていて、唾は腎虚だという話でした。それで腎虚でやってみたら、ものの見事に一晩でほとんど治ってしまったんです。それで風邪は肺虚だけではないなと。腎虚の風邪もあるんだなと思いましたね。

 また、開業してから喘息の患者さんが来られたんですが、何かが違うんです。肺虚でやっても治らない、それで脾虚でやると少しはいいのですが、ちょっと違う。では何だろうとなって「咳嗽して寒熱往来する」だから、商丘と間使の組み合わせに変えたら急に良くなったんです。そして不整脈も治ってきた。よく聞いてみると、心臓が苦しかったのにそれが取れてきたとも言う。それでこれは心臓性喘息やないかという話しになったんです。

松田 その時の脈証はどうなんですか。

二木 証は脾虚でいいのですが、太白・大陵というオーソドックスな取り方をするとだめなんです。商丘・間使という取り方をしたらすごく良かった。

松田 その前の腎虚の風邪の時は、脈は腎虚だったんですか。

二木 自分のことだったので、脈は分かりませんでした。

松田 東洋はり医学会では、風邪は肺虚になっているのですか。

二木 だいたい肺虚だということになっているんです。

松田 腎虚の風邪があるということはありえないのですか。

二木 当時聞いていなかったですね。僕が聞き逃していたのかもしれませんけど……。そういうわけで、バリエーションも付けなくてはならないし、病症を経絡に振っているだけでは、バックボーンが全然分かっていないなと思っていたんです。そんな時に、池田政一先生の『臨床に生かす古典の学び方』を読んで、病理を漢方でも診てバックボーンをしっかり考えないとあかんのとちゃうかという発言が出てき始めていたんです。それからもう1つ、東洋はり医学会では、脈診で沈めて陰経、浮かせて陽経といういわゆる比較脈診(脈差診)をされるんですけど、どうしても指の圧力は寸口ばかりが強くなる。そのわりには、寸陽、尺陰というときの寸口の指の圧が軽くなくてはいけないのですが、それが守られていない。そこに福島賢治先生たちが、菽法脈診を『難経』から見付けてこられて、各臓腑に菽法の位置の脈があればいいのではないかという考え方を組み合わせていくと、病理とリンクしそうだということになりました。

松田 菽法脈診は、要するに、脈診部の深さで配当されている臓器が違うという脈診法ですね。

二木 そうです。漢方鍼医会の場合は肺の脈が三菽にあれば正常、脾の脈が九菽の所にあれば正常というように拡張してやっていますけどね。できるだけそこに脈が落ち着くように治療をします。

松田 そうすると、菽の重さによってそれぞれの臓器の異常を診るという脈診をしているんですか。

二木 そういうことも同時にしています。

松田 そうですか。では寸関尺六部定位で4藏の虚を診る比較脈診はもうやっておられないわけですか。

二木 やってないですね。

松田 それはとても大きな変化ですね。

二木 そういう話が内部で出てきて、新しいものは認められないという対立もあったりして独立することになりました。それで、私もちょうど同じような疑問を持っていたので、設立に参加しないかという話しをもらいました。

松田 それでは極めて初期から、漢方鍼医会にかかわっておられるのですね。

二木 はい。僕も自分の思っていることと一致しているから、ぜひともそちらで勉強したいと思いました。

松田 でも、まだその時は刺す鍼の臨床でしたよね。

二木 そうです。

松田 漢方鍼医会の創設はいつでしたか。

二木 平成4年です。

松田 18年前ですか。もうそんなになるんですね。

二木 それで治療のバリエーションが深まってくると、今度は何か自分の思った脈にならない、菽法に落ち着かないというのがあって、これは鍼が深いんちゃうかと思い始めてはいたんです。ミリ単位とはいいながらも「慣れ」から自然と少しずつ深くなっていたんだと思います。また一方で、”ていしん”の本治法もやっていたんです。小児鍼でも標治法をするから、小学生くらいの子には”ていしん”でやって、中学生にもぼちぼちやっていました。でも、決定的だったのは高校生の背中の肉離れを治療した時です。

松田 先生が学会発表されたり、『あはきワールド』にも書かれていた症例ですね。

二木 そうです。高校生が背中の肉離れで痛いと言ってやってきて、治療するとよくなるんだけど、すぐ再発する。あとで分かったことは、毎晩溝のあるベッドに寝ていて、その溝に背中が入って肉離れが治らなかったんですね。その治療で万策尽きてどうしようとなった時に、ひょっとしたら自分は衛気の手法をしていると言いながら、深いんちゃうかなと思ったんです。それで、”ていしん”でやったらものの見事に治ったんです。それで深すぎたことが分かりました。

 それから”ていしん”について考え始めたら、大阪漢方鍼医会の森本繁太郎先生がすでにオリジナルの森本”ていしん”を使っていることを知り、自分も使わせてもらうようになりました。それから”ていしん”だけを用いた治療となるまでに3か月もかからなかったですね。それまでにも、”ていしん”2030%はあったのですが、それが100%になるまで3か月もかからなかったということです。

松田 それほど臨床で効果があることが分かったわけですね。それは先生だからできたんですか。

二木 そんなことはないと思いますよ。滋賀漢方鍼医会の人たちも、1年以内にほぼ”ていしん”のみに切り替えているし、漢方鍼医会の先生たちは多くが”ていしん”のみで治療しています。

松田 接触鍼なのか、浅刺なのか、深刺なのかといういろいろな議論が、昭和10年代の経絡治療のスタート時点からありました。経絡治療でいうと、井上恵理や岡部素道らが浅鍼のほうに流れた。それに対し、柳谷素霊は「深刺をしなければならない時だってある。長鍼だって大鍼だって使わなければならない時はある」と言った。今はいろいろな鍼が使えるのが鍼灸だというようになっている。でも今の人々の病態というか、皮膚や身体がどんどん虚の体質になってきているので、刺さない鍼が有効だし、それが日本鍼灸の代表として脚光を浴びている。それには、日本人の体質が変わってきたという時代背景があるとも言われていますが、どうなんでしょう。

二木 僕は毫鍼をバカにしているわけではないですし、自分の身体を使っての毫鍼の練習は今でも時々しているので「絶対刺さなくてもいいんだ」と意固地になっているわけではありません。ただ、東洋はり医学会時代、それこそ福島賢治先生が雲の上の人だった頃ですが、衛気の手法、いわゆる気を補うだけではなくて、血を直接動かせる鍼を研究しなくてはならないと発言されていたことを強く覚えています。今は経脈のなかの気、営気、いわゆる血を動かす手法も漢方鍼医会では確立されていて可能です。

松田 ”ていしん”でですか。

二木 はい。今日の臨床のなかでもあった『難経』七十五難型(東方実し西方虚せば、南方を瀉し北方を補うというのは陰実証ですよね。

松田 肺虚肝実ということですか。

二木 そうです。陰実ということは実を処理しなければならないのですが、僕は九鍼十二原篇にでてくる瀉法をやりません。それでもお腹があれだけ柔らかくなったし、顔色も背中の色も皮膚の色も変わった。血を処理できたということは、営気の手法を使っているからです。

松田 沈んで硬かった脈が、ぐっと大きくなって柔らかくなりましたもんね。

二木 血中の陽気を動かすという手法ができるようになり、自分の解釈ではありますが七十五難の治療法則も分かって、色々と客観的に捉えることができてきました。ですから、毫鍼が臨床の上で必要と感じないから使っていないだけです。毫鍼を否定はしていません。

松田 鍼灸学校の教育については、僕も東洋鍼灸専門学校で授業をやっているので、考えることがあるのですが、基礎としては刺す鍼の訓練が必要だと思いますね。

二木 1年生の時は必要だと思います。

松田 そこから入らざるを得ないですよね。

二木 手をつくる、姿勢を作るという面では必要だと思います。

松田 そこが抜けると、鍼灸教育としてはおかしなことになります。

二木 教育としてはそうだと思います。ただ僕がもう10年あとに学校に行っていたら、3年生の時点で、”ていしん”オンリーにしているのではないかと思いますね。それこそ、学校の先生に「按摩やめてもいいか」ではなくて「毫鍼やめてもいいか」というくらい(笑)。

松田 なるほど。刺さなくてもいいではないかと言って(笑)。それは面白いですね。

二木 実際に、次に僕の所に助手としてくる子はまだ学生ですが、学校の授業では鍼を使っていても、治療の練習では”ていしん”しか使っていませんからね。

松田 最初にそれを聞いた時、にわかには信じがたかったんですね。今日実際に拝見して驚いたのは、本当に施術が速いことです。「”ていしん”は効くけど時間がかかる」とおっしゃる鍼灸師さんもいて、そのイメージがあって、先生の論文を読ませていただいた時に、何となく時間をかけて治療していると思っていたんです。誤解でしたね。刺す鍼よりも若干長くかかるように思って来て、実際に見たら数秒ですよね。5秒くらい置いている時もありましたけど、普通は2〜3秒でしょ。

二木 そんなもんですね。

松田 それで整うのはすごいですね。それから“気が至る”ということについてはいかがお考えですか。

二木 僕は毫鍼よりは、”ていしん”のほうがそれは分かると思います。

松田 そうですか。その“気が至るのを感じて、施術を終えているんですか。

二木 もちろんそうです。

松田 ということは数秒で気が至るということですか。

二木 そうですね。要は世間がやりすぎなんです。脈でも押しすぎ、鍼でも入れすぎ、”ていしん”でもやりすぎ。

松田 それは重要な問題提起ですね。

二木 これは刺激鍼の時に経験したり、言われてきたことだと思うのですが、腰でも肩でも抵抗を突き通したらあかんということを皆言っていますよね。

松田 硬結のことですか。

二木 そうです。貫いたらあかんということはよく聞きますよね。鍼が刺せるようになった学生は、硬結と一生懸命に格闘して貫いたら「やった!」と。でもその後、患者さんの具合が悪くなる。あれと一緒で、感触がしっかりあってから抜鍼するのではやりすぎると思うんです。刺激治療といって硬結を貫いてから、「さあ抜こう」と考えている。それが簡単に貫けてしまうので、抵抗があって貫いてから抜鍼するほうがやっている側は気持ちがいい。でもそれは施術者側が気持ちいいだけで、患者さんにとってもそうかというと別問題です。

松田 先生は硬結が見つかった時、それをくずそうとは思っていないわけですね。

二木 していません。

松田 でもそれはくずれるものですか。

二木 くずれます。

松田 その数秒の”ていしん”治療だけで。

二木 はい。ただ、1穴では無理ですよ。周りからある程度攻めていかないと。それからやっぱり経絡の流れ全体を診て、いろいろな所から助けてあげないと。

松田 本治法をやった上で、さらに局所に数秒の”ていしん”治療を行う。

二木 例えば、川に邪魔な石があって、どうにもならないのはクレーンで釣り上げるというのが刺絡。でも小さい石だったら、川の流れの勢いがよければ流れていくものです。だから無理して長靴をはいて川の中へ入り、手で拾ってもムダな努力になることもあります。流れにまかせておけば、結構何とかなると思っています。

松田 今はあらゆる病態を、”ていしん”のみでやっておられるんですね。

二木 ううん、違います。ここもちょっと誤解されたくないというか、”ていしん”のみを強調してもらいたくはありません。やっぱり経絡が主体です。それを調整するのに今1番適していて、不都合がない道具が”ていしん”ということです。だから治療はあくまでも経絡です。

松田 要するに経絡治療なのだと。それは一貫してやっておられる。

二木 そうです。

松田 その手段を今は最も軽い、刺激の少ないやり方として”ていしん”を使っている。

二木 刺激が少ないかと言われると少し疑問ですが。

松田 むしろ最も深い影響を与えることができているかもしれない?

二木 そうです。

松田 また道具も工夫されて、森本”ていしん”でやられて、また更に自分で改良されながらやっておられますよね。昭和10年代もいろいろ工夫がされていて、例えば井上恵理が長柄鍼を作り出したり、”ていしん”でも小野文恵の小野流の”ていしん”があったり……。そういう意味でも、先生は経絡治療の道具を自分で作り出していくという伝統を引いておられて面白いですね。

二木 森本先生の道具が悪いのではなく、あれは森本先生の手に合わして作られているものだから、自分の手に合わせたデザインのものが欲しくなったんです。発想は単純です。

松田 でもそれが最も邪を排したり抜いたりする道具としていいんだとも実感されているわけですよね。

二木 デザインも数年考えてやりましたから。

松田 インターネットのブログにお書きになっている連載「ていしんを試作中(19)」を読んで、”ていしん”を作る過程への実感が涌きました。いろいろな人がいろいろな道具を作っていますが、こういうのを作ったと見せてくれるだけで、作っていくプロセスについて克明なレポートを出してくれている人がいなかったものですから、本当に実感が伝わってきました。

二木 何でもネタにしてしまうので。僕のは笑福亭鶴瓶の「つるべ日記」みたいなものですから(笑)。

松田 「鍼灸師さんはこうやって実感的に道具を作っていくのだ」とよく分かりました。僕が漢方鍼医会を評価しているのは、非常にオープンで、いろいろな流派から学ぼうという姿勢が強いところです。流派を超えていこうとする流派で、現代的な鍼灸師の在り方だと思います。僕は、2年前にお亡くなりになった古典鍼灸研究会の井上雅文先生と20年くらいお付き合いしてきて、先生の『脈状診の研究』も会のスタートの時点で読まれたということは聞いています。井上先生が脈状診を鍼灸界に提案したとき、まったくシカトされたんですよね。

二木 らしいですね。

松田 1980年代の始めでした。二木先生は論文で、最近はむしろ脈状診のほうが従来の六部定位脈差診よりも、人々の関心が高いと書いておられましたよね。そういう意味では、時代が変わってきているんだなと思いました。今はそうなんですか。

二木 僕の周囲では確実にそうですね。伝統鍼灸学会で実技を見せていただいたり、去年は遠藤良一先生や杉山勲先生、左合昌美先生に来ていただいたのですが、「六部定位脈診は比較脈診だよ。あれは病因は分からない」と言われていました。

松田 日本伝統鍼灸学会は、まだ比較脈診の流派のほうが多いと思いますね。

二木 僕には中心となって活躍している先生方がそういうふうに映るんですけどね。2009年の日本伝統鍼灸学会大阪大会に行って感じたことですが、藤本蓮風先生が会頭をおやりになったので、北辰会が目立つのは当然なんですけど、僕が初めて伝統鍼灸学会に行かせていただいた頃に比べると、北辰会もできるだけ客観的なことをしようとしているように思いました。最初は「弁証論治で証が立ったから、この治療」という感じに自分には映っていましたけど。脈でも脈状にこういうものがあったということを極力見つけて、弁証に合致させているような印象を持ちました。

松田 なるほど。さすがに先生は臨床家なのでよく見ておられる。

二木 北辰会の刺鍼技術を見せていただいたんです。こういう脈の時は、こういう鍼を使うんだということを丁寧に言われていたので、整合性を取っておられるんだなと思いました。

松田 池田先生から漢方病理を学ばれたということでしたが、確かに日本の鍼灸を考える場合、病理学、病証学がまだ一般化していない、共通の認識になり得ていない。今後それをどうしていくかが必要だと思っています。そこである種の共通項が得られないと、このばらばらな状態を一歩進めるのは難しい。基準が得られなくて、皆が勝手な理論を勝手に言っているだけ。結果としては「日本の鍼灸はいろいろあって、何がなんだか分からない」ということになってしまうのかなと思っています。かといって中医弁証に依拠するだけでは何だか寂しいな。中国の伝統を踏まえながら、日本鍼灸の独自の病理学が成立しないかと思っているんですけど、先生はどうお思いですか。

二木 どうでしょうね。伝統鍼灸学会大阪大会の特別講演で帝塚山学院大の杉本雅子教授が報告されたように、老中医と今の中医はえらく違うと思います。それで本来の中医学と現在の中医学を比較すると、ものすごくいい中医学が絶えてしまうという話になっていました。

松田 そうでしたね。

二木 それこそ現代中医学の理論はどんどん論理化されすごくなっていくけど、臨床の効果はそれに反比例して落ちていると言われ始めている。中医学理論は中国がよってたかって費用も使って構築されていくので、揺らぎがなくなっていく。でも、実技はそれぞれの先生がそれぞれのことをやっているから、実技編を書くとなった時にお茶を濁して、三里に刺して終わりという感じになる。それで教科書通りに三里にやっても効かないから、もうちょっと刺そうかな、もうちょっと刺そうかな……としているうちに、結局深刺になっている。

松田 深刺して電撃的得気を効かせるという手法は、今の中医学の教科書的弁証に従う限り絶えないでしょうね。

二木 だから松田先生が報告されたように、北海道の吉川正子先生が、「浅い治療でも効くんだよ」と中国で発表した時に黒山の人だかりになってしまったということはうなずけます。

松田 漢方鍼医会では、その病理学を会として体系化しようとしておられるわけですよね。

二木 はい、そうです。

松田 池田政一先生が中心となって、経絡治療学会の教科書をお作りになりましたよね。僕も詳しく検討しているわけではないのですが、寒熱病証を軸にしながら体系を立てられたと聞いています。それと似てくるということですか。

二木 どうなんでしょう。ベースはいただいておりますし、今でも参考にさせていただいております。しかし今、漢方鍼医会で議論されていることなのですが、例えば肝も脾も病んでいて腎も絡んでいるとなった時、肝も脾も腎も鍼を入れるのかということになってしまう。それでは比較脈診の頃と変わらない。でも、多臓器への影響がどうなっているのかが読めるようになっていけば、よりシンプルで病理としても合理的に治療ができると思っています。例えば本体は肝虚証で、そのなかで行間などを用いたら、火剋金の影響が出て、更に選穴が加わることで、多臓器への影響もある。ですからベースはもらっていますが、治療は選経・選穴の組み合わせで、最短距離でシンプルにできる方向を目指しています。

松田 なるほど。

二木 ですから、六十九難をガチガチに肝虚ときたら、肝腎の両方を機械的に補うということはしていません。肝経1穴で良かったらそれで陰経は終わり。必要だったら腎経も補う、あるいは剛柔の考え方で六十四難や三十四難に書かれているやつですよね、相剋系の腑を補うことによって、例えば肝の相剋は金剋木ですから、それの陽経の大腸を補うことによって、肝が弛んで補うことができるという理論ですね。だから肝を救うために大腸を使うとか、肝を補った上で大腸も補うというやり方の先生もいますし、六十九難をもう少し延長して肝経を補った上に腎経の剛柔の胃経を補うことによって、肝腎を補うというやり方もあります。それから『難経』七十五難の治療法も使っています。

松田 今さらっとおっしゃいましたが、僕はすごくいいと思います。というのは、回答が非常に多元的なんですよね。ある病態に対していろいろな手法があって、それぞれのベースにはこういう理論がある。それをそれぞれの鍼灸師が選んでいいという幅がある。「唯一の回答はこれだ」と打ち出していないところが非常に新しいですよ。

二木 そうでしょうね。

松田 本来の鍼灸医学というのは、そうではあるはずですよね。アプローチの仕方によって、いろいろな入口があって、それを許すというか、原理的にそれが許されているオープンなシステムが、本来の天人合一的な鍼灸理論ではないかな。今のお話を聞いて、入口が無数にある非常にオープンなシステムでいいなと思いました。

二木 そうだと思うんですよ。「僕たちは肝虚証で似たような病症をやりましたよ」ということで、別の会は脾虚証でやった、また別の会は心虚証だと、でもそれで治ればそれでいい。いろいろなやり方があるなかで、どれが正しいのかではなく、どれがベストなのかを探すことが大切だと思います。

松田 だから「心は君主の官だ。心虚なんてない」という流派があってもいいし、「いや心にも虚がある」という流派があってもいい。それが許されているということを原理にして、それでもう1回鍼灸の大きなシステムを組み立て直して、それぞれが大きなシステムのなかで自分がどこに位置しているのかを認識できると、鍼灸はもっと大きな医療として羽ばたいていけるのではないでしょうか。

二木 そうなるといいですね。時には本治法でありながら、陽経から鍼をすることもあります。それは全然不思議ではありません。例えば小児鍼は大抵は手足の陽経からやりますし、緊急の場合でしたら標治法で背中からやることもある。それから井穴刺絡は、わりと陽経のほうが多いと思います。それがいわゆる本治法となった時に、いきなり陰主陽従というように発想することのほうが硬直していると思いますね。

松田 外邪が入ってきた時、まず陽で受けるというのは、人間の身体の病態として当然です。まず、陽である身体の外側で抵抗するから、陽経と邪の対応関係が生まれている。その段階では邪は中に入っていないわけだから、陽経を処理すればぱっと邪が取れて、それこそ自然治癒力が発揮される。

二木 そうですね。だから陽経からやってもそんなに問題はない。ただ、それでは体系化ができないし、普通鍼灸院にこられる患者さんは、その段階を過ぎてから来られていますから、九十数%は陰経からやることになるわけです。

松田 そうですよね。脈の話に戻したいのですが、僕の脈を診て、どんな病態があるのか診ていただけませんか。僕は年がら年中、調子が悪いのですが(笑)。それでこの脈から何が読み取れるのか、お話いただけますか。

二木 先程も治療室で少し診せていただいたのですが、1番気になるのは左の関上です、肝胆の所。ここが硬いんです。生理から言うと、肝の疏泄が年中よろしくないんでしょう。それにともなう筋肉症状なり、寒熱往来というのが一般的なことですね。個別の病症については、やめとこうかというところなんですけど……。ただ先生、これはあくまでも脈診だけのことですが、僕だったら肺虚肝実、七十五難で治療しますね。この硬さは、あちこちいじっていて、肝の所に余計にオ血が滞っているように診えます。もしかしたら、脾虚肝実でいったほうがいいかもしれませんけど。

松田 見事につかんでおられますね。僕は胆石を取っているんです。それまでにも若い頃、脂肪肝で入院したこともありますし、肝胆に非常に問題を抱えているというのは、その通りなんです。菽法脈診ではどのようになるんですか。

二木 まず、肺は三菽ですから問題はありません。脾は九菽よりも少し浮いてますし、緩脈で柔らかくなくてはいけないのですが、それが認められず、むしろ開いてしまっている。心は六菽でもっと浮いていなければならないし、洪脈なんですけれども、かなり沈んでいます。ただ、下のほうにいくと少し細くなっていて、硬いやつがあるから心にも何かを施すか、助けてあげなくてはならないでしょう。ですから、調子が悪くなってくると心下部がつかえてくる。

松田 その通りですね。

二木 肝は九菽から六菽ぐらいまで浮いてますし、何よりも「結ぼれるが如し」という脈をしているんですね。菽法で詳細に診ていくと、脈は上から下まで押していくと、どこかで必ず途切れるんですよ。例えば、三菽、六菽くらいから下がふくれているというのも、それは三菽、六菽が途切れているからです。それにわりとよく触れる脈でもどこかが途切れているんです。でもこれが途切れていません。

松田 そうですか。

二木 ですからこれは実だと捉えられます。だから陰実の処理をしなくてはなりません。腎も九菽くらいまでいっているので浮いています。おそらく、開いているのに芯がある脈というのは、津液がうまく通っていないからで、ちょっとしたことで汗がばーっと出る。

松田 その通りです。

二木 そうかと思えば、汗が引いてしまって手足だけに汗をかく。そんな感じになるのではないでしょうか。

松田 変に汗っぽいんですよね。

二木 ですから、脈からだけですと肺虚肝実だと思います。本当はもっと総合して診なくてはいけないのですが。

松田 面白いですね。やっぱり菽法脈診で、それだけのことを読み取っておられるんですね。

二木 漢方鍼医会では菽法を五臓に当てはめ、さらに五臓の整脈(肺は浮・渋・短、心は浮・大・散、脾は、肝は沈・牢・長、腎は沈・滑・軟)を合わせて脉診していきます。

松田 それこそ六部定位で「肺虚だ肝虚だ」という脈診と、全然違う脈診があるんですね。

二木 どうなんでしょう。うちの助手は最初からそうだから、そういうものだと思っているのかもしれません。

松田 こういう脈診法があって、そこから病理が読み取れて、治療方針も導き出せる。可能性を感じますね。

二木 はい、ありがとうございます。

松田 ぜひ文献を読みたいですね。教科書作成は進んでいるんでしょ。

二木 各証について病症・病理・治療例・中医学との違いについてまとめた増補版が作成されたところで、そこそこ進んでいます。

松田 用語集もあるんですか。

二木 漢方鍼医会の用語集はあります。

松田 用語の統一も非常に重要ですよね。それが果たして、日本の鍼灸全体の共通用語になるかということですが。今、国際的には中国がWHOを通じて、用語も中医学で統一しようとしたり、大変な騒ぎになっています。

二木 経穴も今度、字が変わるんですよね。僕らは点字だからいいけど。

 そういった問題以前に、いま鍼灸学校では、刺鍼技術が教えられていませんよね。実技時間が少ないからなのですが、漢方鍼医会の研修会に来ていただいたら、数か月から半年の期間で皆さんかなりのレベルに到達していただけます。でも難しいのは取穴です。取穴はそう簡単にはいきません。これを今どうにかしたいと思っているんです。五行穴、五兪穴の取穴は特におそまつですから。

松田 どういうふうにおそまつなのですか。

二木 まず部位を知らない。それから部位表記があいまいだから、本治法で取る場合、ミリ単位で違っていても効果があまり出ないのですがその取り方を知らない。それから、取穴の教科書には取り方のコツが書いてないんです。

松田 それこそ、11穴、皆さんの経験を持ち寄って、言葉にして伝承していくしかないですよね。

二木 それを補ったものを取り入れなければならない。本部に先立って発行させてもらった滋賀漢方鍼医会の独自教科書では取穴法を極力書き出して、ビデオも個人の努力で作っているのですが、それでも実技で教えていかないとダメだし1回や2回では忘れてしまう。作った僕たちですら、忘れていくんですから。忘却という生涯最強のライバルはどんどん強くなっていきますからね(笑)。

松田 わざは鍼灸の臨床において、最も大事な部分です。それがどんどん簡略化され、刺せば効くといった認識だけが変に高まってしまっている。病院に受け入れられる鍼は、結局そういうものでしかないわけです。昔より鍼の認知度は上がってきてるんだけど、広まれば広まるほど、悪い面も出てきているということを鍼灸師は言い続けなくてはなりませんね。特に取穴については、おそらく昭和10年代の鍼灸師さんたちが分かっていたことを、今の鍼灸師さんは分かっていないという部分も出てきていると思いますね。

二木 そうですね。僕も教わらずに、聞いたこともなければ、ブランクがあいてしまって、どこかに行ってしまった知識もあると思います。

松田 もともと東洋はり医学会は、教え方のシステムが丁寧であると言われていて、漢方鍼医会もそれを引き継いで、他の研究会とは違ってこってりとした実践的な研修会をやっているという話は聞いています。今度覗かせてください。

二木 ぜひ来てください。

松田 そういういい伝統は引き継いで、それを皆のものにしていただきたいと思います。二木先生は思想的なバックグラウンドや、社会的な視野が広い方だということは、ホームページを見るだけで分かります。また、量子力学と東洋思想の共時性への着目から生まれたニューサイエンスの哲学にもご関心がありますよね。それについてはいかがですか。

二木 まあ、それは長くなるからいいじゃないですか(笑)。それよりも、先程の刺鍼の話にいきたいな。

松田 そうですか。ではそちらでいきましょう。

二木 ”ていしん”で時間が短いという話しですが、経絡治療家でもそうなのですが、自分が手ごたえがあって満足する治療があります。でもそれが、患者さんにとっても100%かというと、ズレがあると思うんです。

松田 それは鍼灸師だけではなく、医療にかかわる人のエゴというか「俺が治してやる」といったプライドが核になったり、自己実現みたいなものが関係していて、1種の業みたいなものかもしれませんね。それがとっぱらわれるということは、鍼灸師として大きな実践的、思想的テーマでしょうね。

二木 森本”ていしん”を使わせていただいている時から、毫鍼の時より速くなってきたのですが、いまは更に速くなりました。というのも、鍼を長く当てていると「脈が開いているな」と時々思っていたのですが、でも思うだけで自然と手法が速くなっている部分しかなかったんですね。臨床は生き物ですからその場その場で合わせているという意識しかなかったのですけど、同時に余計なことはやりたくないですから排除できるものは排除しようとしていたならいつの間にか手法も治療時間も短くなっていたんです。それが自分の”ていしん”を作ってからはっきり確信を持てた。

 そうしてお腹を使って客観的に刺鍼技術を評価するという方法を思い付いてから、僕ひとりではなく皆で追試した時に、全員があまりに置鍼が長すぎるということに気が付いたんです。山で例えると頂上で抜くのが1番いいわけですよね。でもやっている側は、頂上にいった時に手ごたえがあるわけです。手ごたえがあってから抜くのでは100%の効果が出ない。しっかり手ごたえがあってから抜いたのでは、下手をしたら5合目くらいまで下がっているかもしれない。初心者で自信がなくて、しっかり補おうとして時間をかけていたら、すそ野まで下っているかもしれない。100%で抜くという客観的な刺鍼技術を、脈診でもそうですが、確立していきたいと思っています。

松田 それは「気の治療とはいかなるものか」というテーマにもなると思うのですが。

二木 そうですね。

松田 つまり患者さん自身が治そうとして、自分の気を働かせているわけだから、その認識である程度の所まで押してあげれば、あとは患者さんの気が治さなくてはいけない所に自然と行くだろうし、それで全体の身体の調子を自分自身が高めていくだろうと思います。あとは、それこそこの「にき鍼灸院」のように、患者さんに最初に本治法をし、そのあと30分寝かせておく。そのあとに標治法をするという思想。これは思想だと思うんですが、よく考えられている。この認識があればやりすぎないんだけど、そう考えない鍼灸師もたくさんいるのだと思います。「治療家自身が治さなければいけない、とにかく鍼灸師が患者の気を動かす」というのは、西洋医学のマインドと同じです。そうなるとやりすぎますよね。患者さんという存在、自然治癒力、気というものについて二木先生の思想とは違うんですよ。

二木 それはよく感じています。それを埋めるために、客観的なやり方を考えているんです。まだ開発段階ですが。実際に今日の治療室で、緑書房の編集者、真名子漢さんをモデルに、松田先生にやってもらっても同じ結果が出ましたよね。

松田 あれは見事ですね。”ていしん”治療のようなマイルドな刺激でも、ちょっとやりすぎると、脈は裏返って堅くなり、マイナスの結果が出る。適当な速さでなければならないということですよね。ニューサイエンスについては長くなるのでやめようということでしたが、ホリスティック医学にも関心をお持ちのようですし、そういうことと、先生の鍼のシステムの間には、もちろん関係があるわけですよね。

二木 もちろんありますね。

松田 ニューサイエンスについての関心は、フリッチョフ・カプラ(『タオ自然学』著者)が来日されたことがきっかけですか。それとも、もっと前からですか。

二木 彼が招かれたのがきっかけですね。

松田 1989年に福島弘道先生がお招きになったわけですよね。

二木 そうですね。

松田 だから、彼はそういう発想があったということですね。アメリカで起きている新しい哲学の運動だとか、エコロジーの運動だとかが、自分の経絡治療に深い関係があるのだと。

二木 そういうことになっていたはずです。

松田 建て前的にはそこまでいっていた。それは立派なことですよ。あの当時、福島弘道のようにそういった発想を持てていた鍼灸師は、そんなにはいなかったはずです。僕はその直前に京都でシンポジウムに参加したカプラと、休憩時間に少し話したんです。「これから東京に行って東洋はり医学会で講演するんだ」と言っていました。だから先生がニューサイエンス論についてホームページで書かれているのを見て、僕の先生に対する関心が生まれたんです。最近、木戸正雄先生が『天・地・人治療』(医歯薬出版)という本を出されて、そのなかでニューサイエンスについて触れておられます。それでニューサイエンスに関心がある鍼灸師の先生は、木戸先生で2人目だなと思ったんです。経絡治療の思想は、人は天地・宇宙とのつながりの中で生きているということですよね。

二木 中国の古典のあらゆる所に、人体は小宇宙だと書かれていますからね。

松田 この天地人のつながりというものが、身体の中に経脈という形であるという認識ですから、あらゆるものがつながっているという認識の上で成り立っている治療法ですよね。ところが、鍼灸にかかわっている人のなかでもその認識がない、あるいはなくなってきている。そのなかで、患者さんに対する過剰治療が生まれるのではないかと思いますね。

二木 大阪の池田市で起きた事件なんて言語道断ですからね。

松田 あれは医療以前のビジネスの世界で起きた事件ですよね。でも世間の人はあれが鍼灸だと思ってしまう。

二木 そうですね。いろいろなブログで「鍼は怖い」と書かれていました。

松田 そこで、刺さない”ていしん”治療だということになるんですけど、そんな安易なレベルで刺さない鍼を考えてほしくないですよね。

二木 はい、その通りです。

松田 皮膚に対して、刺さない鍼が科学的にどういった効果をもたらすのかということは、おいおい分かってくると思います。つまり、刺さなくても、きっちりと生体に対して影響を持ちうるということは、皮膚科学の領域で今後更に明らかになるでしょう。漢方鍼医会も東洋はり医学会から分かれたところから、18年の間にどんどん変わっているんですね。

二木 そうですね。

松田 先生からいただいたメールに、統一基準を作っていきたいということが書かれていましたが……。

二木 自分の経験に基づいて脈の議論がされるのですが、例えば浅い所の脈を診る場合、敏感な先生は指を軽くしか置かないし、もうちょっと深い人もいる。初心者の人は、はっきり脈が指についてこないと不安ということで、かなり強く押している。そんなバラバラの状態のなかで議論をしようとしても、浮沈さえ基準が整っていないのだから非常に難しい。議論が噛み合わなくて当然です。そこにも菽法脈診の価値があります。三菽の位置が決まっているし、十五菽も決まっている。ですから菽法を動かす指の手さばきを覚えれば、大体同じ所を診ているはずです。そういうものを作っていかなくてはならない。

松田 菽法脈診が出てくるのは『難経』だけですか。それ以降の歴史はどうなのでしょうか。

二木 『難経』の解説本には多少書いてあるかもしれません。でもあまり取り上げられてはいませんね。

松田 歴史のなかでミッシングリンクになってしまった。

二木 そうですね。

松田 脈診の歴史は、出てきても継承されずに消えてしまったものがかなりあるわけですよね。菽法もその1つなんですか。そういう意味では、歴史を再発掘して甦らせようとしている面もありますよね。

二木 あと先程も言いましたが、手法も客観的に評価できるものにしていけば、日本人でなくてもオーストラリアの人だってアメリカの人だって、同じ結果になっていくでしょう。

松田 ”ていしん”で衛気を操作する場合と、営気を操作する場合で角度を変えていますよね。あれも経験を蓄積されたのですか。

二木 経験の蓄積のなかから、かなりの部分は森本先生がまとめてくれたんですけど、皆が追試していて「よしこれだ」ということになったんです。

松田 その期間は、時間的にかなりあったんですか。

二木 10年未満でやっていますね。

松田 それでもそれくらいかかっているんですね。

二木 最初のうちは「病理というものはなんじゃいな」ということで、病理を自分たちで考えている間にこんがらがっていた時期もあるし、菽法で診ていたのに分からなくなって、最後は比較で決めたみたいになったりして、最初はそんなんでした。

松田 今から思い出すと楽しい苦労というか、議論や論争があったんでしょうね。

二木 それはありましたね。僕だって七十五難を最初に発言した時にはクソミソに叩かれました(笑)。

松田 そうですか。

二木 池田先生が言われる治療の仕方と違うやないかと。その当時はまだ九鍼十二原篇にでてくる補法と瀉法でやっていたので、肝実の瀉をどこでやるのかという話を突っ込まれてきました。まだ衛気、営気の手法がぼちぼち出てきた段階だったので。

松田 確かに肝実というと、それこそ今の一般的な発想でいうと、瀉すということになりますよね。

二木 はい。でもそれは『難経』の七十六難にちゃんと「営気の手法は瀉に通ずる」と書いてあるんだから、営気を動かせば、必ずしも瀉になるのではなくて、瀉的な効果も出せるということです。

松田 結果的に瀉になる補であると。

二木 それがはっきり書いてあるんだから。

松田 そうですか。

二木 だからそれを使って肝実が落ち、効果もあるということになって、多くの人が追試をしてくれるようになりました。

松田 そこの論争も面白いですね。あくまでも補瀉にこだわる人たちと、補でいって結果的に瀉になるんだという人たちがいるのは面白い対立ですね。

二木 それもいろいろあって、今の形になっています。

松田 それが面白い所なんですよね。どちらが正しいということではなくて、臨床的に結果が出るならどちらでもいいだろうと。でもこちらのほうがベターかもしれないという結論でいいのではないかと僕は思っているんです。でも論争になると、どうしてもどちらかが正しいということになっちゃうんだけど……。臨床家としては、臨床の結果が出ていればそれでいいわけですからね。

二木 より良いものは求められますが。

松田 絶えずより良いものは求めつつ、でもその過程でこちらのほうが絶対正しいとは言わないほうがいいです。

二木 そうですね。だから会則にさえ、学術の固定化はしないと書いてあります。とりあえず決めても、将来具合が悪いことが出てきたら、変えようということですね。

松田 では、病理ではそれこそ血虚とは何か、気虚とは何か、陽虚とは何かなどについて、いろいろ考えてきた、あるいは論争しながら決めてきたということですか。

二木 そうですね。陽虚とは何かについては、池田政一先生からいただきました。気虚とは何かについてはまだまだ結論は出ていないのですが、ただ、ここにきて病理産物について、もう少し考えようという動きが出てきました。

松田 具体的にはどういったことですか。

二木 病理産物の産物ということは、物理的なものだろう。では気は物理なのかということになった。でも、気が病んで身体が病んでいるのだから、それは物理的な話だろうという論争が何年かあったのです。結局、病理産物は診なくてはならないだろうということになりました。その代表は血ですし、水滞や痰飲もある、そのなかで気滞や血滞がある。病の段階であれば病理産物があるはずだから、それを診ていくと病理を取り組みやすい。どれだけ手法が効いたかを診るには、脈が1番便利です。でも、本当に脈だけで評価できるのかということがありました。

松田 それは経絡治療の永遠のテーマですね。

二木 それで滋賀漢方鍼医会がいいだしたものなのですけど、いわゆる“3点セット”と言っているものがあります。脈だけではなくて、お腹ともう1つどこでやってもいいのですが、肩上部が1番手を伸ばしやすいのでそこで診て、その3点を診ればそう間違いはないだろうと。脈はこれでいいと思っても、お腹がぐちゃっとなっていることもあるし、脈もお腹も大体いいかなと思っていても、見間違いをしていて肩上部が逆に硬くなったとか……。だから不細工でもいいから、まずは3点が整うような選経をして、そこから更に格好良くなるような選穴を追い求めるという姿勢が、絶対に大事だと思います。

僕がある程度、中医学の勉強が進んできた時に不思議に思ったのが、弁証論治でこの経穴だと割り出された時にそれをどうやって確認するのかが、なんぼ教科書ひっくり返しても出てこなかったことです。「弁証論治で出てきたからこれで効くはず、やってみた、効いた、治った」これでは……。

松田 ほとんど三里が使われていたりね。どの配穴にも三里が入っていたり(笑)。

二木 それは違うやろ。だから理論の部分はいただいていますが、中医学にのめり込めなかったんです。遠藤先生が「経絡治療というのは、鍼灸のなかで最高峰だと断言できる」と言われたのは、治療する前に確認ができるからですよね。ツボを触ったり、経絡を軽擦することで、実際に鍼をした時のことがエミレートできる。証を一生懸命立てても、思い違いはするものです。今日だって「こっちの証かな、あっちの証かな」と分からないから、確認以前に患者の病態に聞いてみようということでやった軽擦もあったんです。大抵は間違いがないかという確認でやっているのですが。

松田 軽擦すると、どのようにして確認できるのですか。

二木 3点が全部改善するということです。3点が改善したら、そうそう間違いはないだろうと。

松田 要するにこのツボを使っていいということが判定できるんですね。

二木 いきなりツボを触る人が多いのですが、そうではなくて、本当にそのツボを正確に触っているのかを確認しなくてはいけません。それにはまず、附近を軽擦する。確認としてはこれで十分です。漢方鍼医会のなかでも、当初はツボをいきなり触っていたのですが、軽擦するようにと変わってきているんです。

松田 そういう流派もありますね。ぎゅっと押さえて、痛いか確認して痛みがなくなったらこのツボはいいということで使っています。でもぎゅうぎゅう押さえているからね(笑)。こんなに強く押さえて、判定基準になるのかなと……。ところで、血虚というのは、中医学と古典的な理解の仕方とは違うのではないかと、僕は思っています。どなたかに聞いてみたいと思っていたのですが、中医学だと血虚は貧血と捉えますよね。先生たちは貧血とは捉えないのですか。

二木 捉えませんよ。違いますよ。血の働きが落ちて、血が物理的に少なくなっているケースもあるでしょうけど、血の働きが落ちているという状態です。

松田 『宮廷女官チャングムの誓い』で、脈を診て血虚を貧血と解釈しているシーンを見て、あのドラマは中医学を導入して作られていると思いました。今のお話を聞いて、それを確認できたような気がします。そういった所も、混乱の種になるんですよね。脈で血虚だという時に中医学を学んでいる人は、貧血の脈だということになります。それとは違うんですよね。

二木 それとは違いますね。それこそ血がいっぱいあって、脾虚肝実でも肺虚肝実でいいけれども、肝実でも西洋医学的な貧血だという人はたくさんいます。貧血で高血圧の人もいる。では最低血圧が高かったら、どう解釈するのかという話にもなります。

松田 中医学も現代医学的な要素を導入して、システムを組み立てているので、中西合作の1つの結果でしょうけど、混乱をもたらしている要素でもあるんですね。ところが東洋療法学校協会は、鍼灸学校が使っている『東洋医学概論』などの教科書を改訂しようとしています。いまよりも中医学の要素を色濃くして改訂しようとしているんです。それは日本鍼灸の病証学の確立に役立つか、障害になるか。おそらく功罪は半ばするでしょう。漢方鍼医会にもがんばっていただかなくてはなりませんね。

二木 がんばります。微力ながら(笑)。

松田 でも皆さん熱心に教えられているので、会員も定着してきているわけでしょ。

二木 おかげさまで。

松田 今どのくらいおられるんですか。

二木 本部だけですと、130140名くらいです。数年のうちに200名は超えてくるでしょう。

松田 そうですか。立派なものですね。

二木 客観性のある実技を示してあげると新しい人たちも納得して定着します。うちの治療院のお弟子さんたちは、もちろん一般の人たちよりも研修の時間は長いのですが、必ず1年で指導に立たせています。

松田 今までどのくらいこの治療院を巣立っていったのですか。

二木 十何人ですかね。

松田 そんなに多いんですか。単位はそんなに長くないのですか。

二木 そうですね。2から3年ですから。

松田 2〜3年で追い出すようにしているんですか。

二木 いつまでもいると、お局様になっていくので(笑)。

松田 今日は本当に地域に溶け込んで生活しつつ開業しておられるということを確認できて、嬉しく思いました。

二木 土着の話題で(笑)。

松田 そういう鍼灸師さんがいなくなったら、日本はおしまいだと僕は思っています。つまり、鍼灸界が活性化するかどうかは、開業鍼灸師が元気であるかどうかと関係するんです。僕も15年以上学会を見てきましたが、いつのまにか学会が大学に籍を置く研究者たちの発表、講演の場になり、開業鍼灸師はそれを下で聞いているという傾向になっています。そういう役割分業ができてから、鍼灸界はどんどん元気がなくなってきたという印象があります。開業鍼灸師の位置は、本当に大事だと思います。みんな野人で、野生のエネルギーがあるんです(笑)。それが大学に入ると、ものを言えなくなっちゃって、RCTやエビデンスのことを言い出すでしょ。パターンにはまった発想しかできなくなる。開業鍼灸師さんの会話は、聞いているだけリアルで楽しいですよ。

二木 関西だとつっこんできますからね(笑)。

松田 先生のほうから、このインタビューのなかで伝えたいことはありますか。

二木 基本的な考え方になるのですが、僕のように何でもかんでも経絡でやっていると、治療院を見学に来る学生は「あれ?」という顔をするんですね。どうやら、”ていしん”を使うことを目的にしているようなんです。ですから、”ていしん”は経絡を使うための道具なんだと言っています。そこで、どうやったらうまく説明できるのか考えました。

昔、集団生活をしていない時は狩猟生活でしたよね。その狩猟生活をしていた時は、どこかでケガをすることもあっただろうし、毒蛇に噛まれることもあった。それで命からがら帰ってきた時に、待っていた人が助けてあげたいと、そこに手を当てる。だから治療することは手当てと言う。その時にドス黒くなっていたり、赤く腫れている血を何とか抜いてあげようとしたら、不幸にも助けてあげようとした人がその毒を飲んで死んでしまった。それでできたのが、動物の角をくり抜いてストローのようにして吸い出すようにした吸角療法です。

松田 あれはそういうものなんですか。それで吸角は「角」と書くんですね。

二木 はい。そのうち、今度は吸角でも何ともならない症状、例えば顔が痛い時にそこに動物の牙を持ってきて吸おうとしても「やめて」となることもありますよね。それでどうにかしようと、今で言う合谷に指を押し当てていたならそれが引いたとか、歯が痛いから三里を揉んでいたら、すごく良くなったということでツボが発見された。それでツボが効くということになり、ツボ療法が発展して経絡が分かってきた。最初は馬王堆から出てきた「十一脈灸経」のように、12経絡が整っていないわけですが。

 それでその経絡をどのようにしたら、効率良く運用できるかを考えた時にできたのが鍼灸ではないか、という説明をするようにしたんです。鍼灸を使うために考え出された理論が経絡ではなくて、もともと宇宙との相似性である経絡があって、それを使うための道具が鍼灸なのだと。あなたたちは鍼灸学校に入る時に、鍼や灸を使えば患者さんが治せると思って入ったと思うがそれはそれでいい。でも鍼灸というのは、経絡を運用するための道具なのだから、それを無視した鍼灸は鍼灸術とは言わないと言っています。それだけでは単に鍼を刺して、もぐさを燃やしているだけの科学的なものだけだから効果はあまり出ないよと言っています。

松田 その通りですね。

二木 だから鍼灸をやるのであれば、経絡を使うことを頭に入れて見学しなさいと途中に入れるんです。分からなくて頭がガツーンとして、心臓がバクバクして倒れる前に、助け舟を出してやるんです(笑)。学校教育の最初の時点で、それを聞いていればいいと思うのですが。

松田 僕はそういう授業をやっているんです。古代人はまず天地の構造と人体の構造は同じと素朴に考えた。さらに進んで天人合一という観念が体系化されてきた。天に月や太陽、星の道筋があるように、あるいは大地に川や谷、水が流れているように、人間の身体にも気が流れる筋道がある。宇宙、大地、からだ、それらすべてがつながって、気が滞りなく流れていると健康だけど、それが詰まるから不健康になる。それを通じさせるのが鍼灸なのだと話しています。

二木 鍼灸で治療するのではなく鍼灸によって経絡を動かして治療するということですね。そこが抜けているんです。

松田 その通りですね。鍼灸はそこに還らなければなりませんね。

二木 学生や若い人たちに、それを分かってもらいたい。それを分かる人が増えれば、鍼灸だけで飯を食える人もかなり増えると思います。

松田 二木先生のような好奇心と探求心旺盛な鍼灸師さんにどんどん遠慮なく発言してもらいたいです(笑)。

二木 いつもうるさいと言われています(笑)。

松田 きょうは半日、わたしも立ちんぼで見学させていただき、新たな見聞を広めることができました。どうぞ、今後もご活躍をお続けください。ありがとうございました。

二木 こちらこそ、わざわざお越しくださって、ありがとうございました。今後も鍼灸師の支援をよろしくお願いします。(滋賀県・南彦根のにき鍼灸院で)

 

 




論文の閲覧ページへ   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへ   『にき鍼灸院』のトップページへ戻る