還元主義を超えて・全包括的(ホリスティック)な健康観の為に

こんな私に

    誰がしたその

  こんな会話を聞かれたことはありませんか?子供が高熱を出して治療に来た時、母親が「この子は熱があるのでペニシリンを注射してやってください」、すると医者が「この子にはペニシリンは効かないんですよ」「それでも貴方は医者ですか、注射してもらえないのなら他に行きますよ・・・」(注釈:ペニシリンは抗生物質の一種で解熱効果に優れ痳病などにも用いられる薬)。これくらい強引な会話でなくとも治療方法を要求・指定する人がたくさんおられますが(いきなり目を逸らさず続きを読んでください)、どう考えてもおかしいですよね(当院では認めていませんが)。

  何でもかんでも外から力を加えればいいというものではないし、ましてこの母親のように 「病気も修理してもらえる」 なんて考えは絶対に駄目です。

  前作は「漢方は内傷無ければ外邪入らず」の原則から、病気の責任は必ず本人にあると説明しました。今回は病気に取り組む考え方について意見します。

 

少し難しいかな?還元主義(心身二元論)とは

  (ある講師の言葉を借りれば)西洋科学とは「キリスト教の科学」とも言い換えられると思います。聖書を見るといたる処に「神の啓示」という言葉があり、絶対的な『神』の下に人類がいて此の世の頂点に立つものとしています。実際ガリレオ「地動説」を立証した時も宗教裁判で弾圧するなど堅くそれを守っては来たのですが、どうもこれでは感覚的に理解できそうで分かり辛い。

  そこで、アイザック・ニュートンをしてリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見する等、つまり「1+1=2」と誰にでも明確な答えの引き出せる物質界のお話を始めてしまったのです。これなら分かり易い。

  その哲学を決定付けたルネ・デカルトは「我思うゆえに我あり」という名言を残し、精神〈心〉は神に通じる崇高なものとしながらも、肉体を含む此の世の物質は機械的構造物であると定義したのです(心身二元論)

  結局、物質には最終的には分解不可能な静的構成要素が存在するはずたと考え、何でも最後は元の状態に還元できるとする「還元主義」が誕生しました。何でも分析して原因を突き止めれば問題解決できるとしたこの考え方は、現在でも支配的な思考形態となり、あらゆる分野で大変な功績を残してきました。

 

今度は分かり易い!偉大な自然治癒力

  ところで、本当に病気は修理できるのかと考えます。例えば切り傷をした時は大抵の人が救急テープを張りますが、果たしてそれが修理をしてくれるのでしょうか?そうではありませんね。あれは自分で引っ付くのを助けているだけですよね。もっと大げさに表現すれば手術を受けて切り口を縫合してもらっても、自分で引っ付かなければ糸を抜くと傷口は開いてしまう訳で、結局病気を治す力は「自然治癒力」以外にはないのです。

  そうすると、還元主義に基づき「出来のいい時計と健康人は同じであり出来の悪い時計と病人は同じであるから、人体を細かく部品に分けて観察し修理すればいい」と定義した西洋医学(酷評して時計修繕医学)はどうなるのでしょう。確かに交通事故の外傷のように「修理」が必要な分野に関しては感謝するところは大きいのですが、こと「治癒」という面に関しては殆ど無力であり、「治る為の条件付け」をしてくれているに過ぎないとは思いませんか?

 

還元主義を超えホリスティック医学へ

  結論は、病気を作るのも治すのも本人次第なのです。例えば車検が近いからと調子を悪くさせた車を使っていたら「廃車にしないと無理ですね」と言われても、車だから出来ますが貴方の身体廃車にできますか?病気の修理は出来ないのですから、自身の力で回復困難と直感すればすぐ治療に走るべきです。

  脉診流経絡治療は〔本来働くべき自然治癒力が故障しているから病気になるので、それを活性化させ生命力を強化する〕【治す力を治す】という考え方をしています。だから、こと「治癒」という面に関しては他に勝るものはない「治癒への道案内のできる」これからの時代の『人類の医学』であります。

  環境的・精神的・社会的に広い視野で健康を考え自然へ適合する、全包括的(ホリスティック)な健康感へ、意識転換(パラダイムシフト)が求められています。

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        脉診流 にき鍼灸院

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