治験発表

幼児期からの慢性甲状腺機能異常

 

1. タイトル

 幼児期からの慢性甲状腺機能異常

 

2. 結果について

 幼少期からのものなので治癒には至っていませんが、経過良好で継続治療中。

 

3. 診察について

  3.2 主訴

 まだ30歳の女性なのに強い耳鳴りがするということで、むち打ちが治癒したことから母親の紹介で来院しました。ところが、脈に触れた途端に脈拍数で言えば100を軽く越えている数脈に、こちらが驚いてしまいます。

 

  3.3 その他の愁訴

 この数脈だと発熱をしているか悪性腫瘍か甲状腺機能異常なので倦怠感について尋ねるものの、特に最近は変わったことがないと言い張られます。各種マニュアルを相互翻訳する仕事をしているので納期もきつく、ストレスが大きいことからの耳鳴りだろうと決めつけています。また最近は手のしびれもあるとか。特に大きな病気もしたことはないものの、会社の健康診断では一度だけ不整脈に引っかかったことはあるものの、再検査では異常なしと言われています。

 

  3.4 四診法

 望診は私に視力がありませんからわからないものの、母親の強いすすめで仕方なく来院したというあまり乗り気がしていない表情です。聞診は特に何も感じません。

 問診で「すごい脈拍数なんだけど」と何度も問いかけるのですが、昔から早い方ではあったものの特に異常があったとは思っていなかったの一点張りです。けれど目の奥の痛みがあり頭痛や肩こりなど不定愁訴満載な上に不眠まで慢性だということが聞き出されてきました。通常ならこれはバセドウ病ですが、本人が倦怠感を真っ向否定してくれます。

  脈診ではこちらの方がドキドキしてしまいそうになるくらいの数脈であり、それでいてバセドウ病特有の落ちきる前に次が立ち上がってくる脈状とは少し違っています。試しに適当に経絡を警察して動かしてみても、さらに数脈にはなってもいきなり落ち着くことはありませんでした。不整脈はないので特に何も出ないだろうとは思いつつ、心尖拍動も確認してみましたが猛スピードなだけでリズムは正常です。触診で甲状腺は少し大きく眼球突出の状態もあるので、バセドウ病ではないものの甲状腺機能亢進として診察を進めることを内心では決定しました。

 

4. 考察と診断

  4.1 西洋医学や一般的医療からの情報

 幼少期からずっと脈拍数が高いのに何も西洋医学的に指摘されてこなかったというのは非常に不思議です。けれど何度も同じ話を繰り返していたなら、母親がバセドウ病の既往があるとここで家族歴が出てきました。しかし、それは10年くらい前のことであり、本人との直接関係は考えられません。耳鳴りについても耳鼻科へかなり通いましたが、何も診断は出ていないということでした。

 

  4.2 漢方はり治療としての考察

 私の大師匠は、「脈診は西洋医学での診断と一致していなければならない」と強調されており、予後の予測が一致すべきというのはどんな立場の鍼灸師でも異論はないでしょうが脈診だけで西洋医学の病名がその場で断言できる臨床を目指してきました。そうでなくてもこの猛スピードの脈拍数は大問題であり、本人の訴えとは異なっていますが臨床家の責任として診断すべきと考えました。

 「陰主陽従」というのはどうやら経絡治療の先輩たちが作り出した用語のようで、陰経重視で治療を進めるべきだということを表しているのであり、それは的を射ていると実感しています。しかし、ここまでの数脈だと陰経から治療を開始するのはなかなか難しいのであり、数多くのバセドウ病を治療してきたように養鶏から剛柔を利用しての治療を選ぶことに至るまで、患者とのやり取りが一向に噛み合わないので診察だけで10分以上費やさざるを得ませんでした。

 

 

5. 治療経過

  5.1 初診時の治療

 時邪を応用した切り分けツールで、予測通り陽経から正気論での治療が割り出されてきます。菽法脈診ではすべての部位が六菽以上の高さに触れられるのですけど、脾の緩脈と肺のしぶりと心の洪は触れられるので、脈診だけで言えば肝虚か腎虚と思われます。腹診ではどの部も軟弱なのですが、女性にはまず触れられる肝腎の間の悪血がなく、肝の変動のほうが大きいと考察できます。

 ずっと猛スピードの数脈というのは肝の疏泄作用が機能しておらず、それが西洋医学的には甲状腺の慢性的な機能亢進という形で現れてきているものと考えられるのですが、ずっとこの状態なので倦怠感が抜けないことに本人が気づいていないのでしょう。肝虚陰虚証と仮定して剛柔では大腸経を用いることになりますから、正気論だと原穴か絡穴になるので探ってみると右偏歴で数脈が落ち着きつつあり、三点セットも整うので決定をしました。本治法は右遍歴へ衛気の補法、そして側頸部へナソ処置を行い、数脈は不十分ながら菽法の高さには整ったので本治法を終了しました。

 診察に時間がかかってしまったことと、このあとの説明にもまた時間が必要ということで標治法までの休憩はいつもの半時間にはせず少し短縮させ、背部の散鍼はわずかにしてゾーン処置を多めにし、最後にローラー鍼と円鍼も軽めで仕上げました。

 

  5.2 患者への説明

 本人が動悸を知らないということと甲状腺もそこまでは大きくないことからバセドウ病とは診断しにくいものの、耳鳴りも手のしびれもまずこの甲状腺疾患から取り掛からないと治癒には繋がらないと繰り返し話しました。様々な愁訴があるものの、個別に対処していたのではあまりに数が多いことと数脈を落ち着けてもまた壊してしまうこと、これを「木を見て森を見ない治療」では失敗しかないと説明しました。全体治療をやっていれば細かなことはいつの間にか勝手に解消しているものであり、異常な時間が相当に長いので最初は治療効果の持続力がないだろうが一ヶ月半くらいは辛抱をしてほしいとも付け加えました。

 本人からの感想では、ゾーン処置で頭部へ邪専用ていしんをタッピングしていたとき、詰まっていた何かが抜けていくような感じがしてここから一気に全身が気持ちよくなりだしたとのことです。最後は全身が暖かくなったので、ひとまずこちらの説明通りにしてみようと納得をしてくれました。

 

  5.3 継続治療の状況

 内分泌疾患なので詰めて治療をしても仕方がないことと勤務のこともあるので、ここからは原則毎週土曜日の治療としています。本治法はずっと肝虚陰虚証で、右偏歴を用いています。標治法は回数が重なってきたなら、少し量は増やしています。2回目は7日後、初回の治療後しばらく体調が良かったのには驚いていました。耳鳴りも静かな場面でないと分からない程度になっているようです。

 3回目は14日後、今週は仕事が繁忙期に入ってしまい毎日3時間ずつ残業をしていたので、体調を崩しており動悸も感じて耳鳴りもまた大きくなってしまいました。治療直後はとてもスッキリしたのですが、回数がまだ少ないので持続力に乏しいのが残念と説明しておきました。

 4回目は21日後、仕事が繁忙期なのでやはり一日勤務を終えたなら倦怠感が出てきてしまったとのこと。耳鳴りも大きいままだが、脈状が太くなってきているのでもう数回続ければ倦怠感は取れるだろうとも説明しています。

 5回目は28日後、繁忙期なので仕事が大変なのですけど今回は週の前半はそれほど倦怠感を感じずに過ごせていたようです。何より今までなら疲れたときほど逆に眠れなかったのが、しっかり睡眠が取れるようになったことが大きいと話してくれました。

 6回目は35日後、まだ繁忙期ながら新入社員のおかげで仕事が楽になっており、倦怠感をさほど感じずに過ごせたということでした。けれど耳鳴りはしっかり聞こえています。七回目は42日後、倦怠感が抜けて身体は楽になってきています。ただ、耳鳴りの方はまだ音が大きいようです。

 8回目は49日後、脈拍数が100を切ってきており、倦怠感がないのでとても元気になってきています。耳鳴りはあまり変化していません。

 9回目は60日後、ゴールデンウィークだったので少し治療日数が延びてしまいましたが元気に過ごせていました。しかし、耳鳴りが続いていて背部痛もそろそろ取れてほしいという要求になってきています。

 10回目は78日後、自宅の血圧計でも脈拍数が100を超えているのが当たり前だったのに時には80を切ることも出てきており、さらに元気になってきています。週末は家でゴロゴロしているのが当たり前だったのに、2日とも出かけてしまうのには母親のほうが驚いているという話でした。ものすごく活発になってきています。

 11回目は102日後、絶好調だったのに数日前よりまた倦怠感が戻ってしまい、不眠にも悩まされていました。毎年梅雨時期が一番体調が悪いということで、その影響ではないかということです。今まで自覚していなかったのに、今回は動悸がしていることがよく分かるとも言います。

 12回目は109日後、前回の治療から体調の大半が復活できています。しかし、まだ不眠気味であり絶好調に戻ったとは言い難いです。

 13回目は116日後、一度崩してしまった体調もほぼ絶好調に戻り何より睡眠がしっかりまた取れるようになってきています。けれどもう少し不安が残るとも言います。

 14回目は123日後、すっかり絶好調に戻り、今週は目の痛みも解消していました。しかし、耳鳴りはまだ聞こえています。

 15回目は140日後、先週は遠くへ遊びに出かけていたのでその疲れはしばらく感じていたものの、すっかり絶好調に戻っています。

 

6. 結語

  6.1 結果

 耳鳴りはまだあるものの、体調維持のほうが重大手本人もあまり問題にしなくなってきています。基本的に二週間に一度のペースでしばらくは継続を予定しています。

 

  6.2感想

 以前に倦怠感があまりに強く実家へ戻ってくるとゴロゴロしているので、母親が鍼灸治療を勧めたなら脈に触れた瞬間にバセドウ病を診断できたのですけど、本人を含め兄弟全員が医者なのに見抜けていませんでした。その癖に結果を聞いたなら甲状腺肥大と眼球突出が明白であったというので、「血液検査でどうして引っかからないのか」と尋ねたなら血液検査というものは「こんな病気があるんじゃないか」とパラメーターを設定し、その結果が得られるだけでオールラウンドに病気を勝手に発見してきてくれるものではないそうなのです。これをオールラウンドに一気に検査してしまえるAIによる診断が、切望されています。

 我々が行っている脈診もその先生の得意・不得意があったり、経験値や考え方によりますから決してオールラウンダーではないものの、いきなり経絡の凸凹を探ろうとせずインスピレーションの世界から入ることを私は推奨します。西洋医学の病名と合致させられる脈診をするには、まずこの段階が必要でしょう。その後に五臓正脈と菽法脈診で病理考察と合わせて診察を進めれば、証決定も比較的に容易にできてしまうというのが実感です。

 そして今回のように猛スピードの数脈ですから数回経過しても理想的な脈状へ変化させることはとてもできないのですけど、本治法を終えるタイミングは各部が菽法の高さににほぼ収まるとしてしまえば、実に明確に臨床が進められます。現在の漢方鍼医会の本治法は少数にこだわっているので一本もしくは二本までしか行われていないのですけど、側頸部へ邪専用ていしんでタッピングを追加することで陽経から余分な邪が排出され、最初の補者手法が完璧でなくても面白いくらいに菽法の高さへアジャストをしてくれます。今回の治療は菽法脈診がなければなかなか難しかったものだと、今更ながら思います。




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